雑記。

「月1回の回転寿司40皿は贅沢」の話を読んだ。「回転寿司」だからなあ、
40枚って、一皿100円なら4000円でしょ、最近はもっと安いのもあるし。
一人で食べたんじゃなく、二人で食べたんだから、月一回、一人2000円前後の外食を「贅沢」といわれてもなあ、、どんだけ発想が貧しいのやら。
どういう理由で保護を受けている人なのか書かれていないのでわからないけれど、親子共々、持病があって働けないとか、事情があるんじゃない?
ちょっとした言葉じりを取り上げて、あれこれ書くのはどうかと思った、まあ、わたしもそうなんだけど。
「自分が持っていないものを他人に持つことを許さない」人や「自分が持っているものを他人に持つことを許さない」人などというものが、
この世には存在して、この心の「貧しさ」を救うための方策が未だ発見されていないのがとても残念、「お金」ではこの貧しさを救えないんだよな。
「お金」で救えない貧しさをどのように扱うか、桝添さんにでも考えてもらいたいもんだな。
子供を持つって本当にお金がかかることで、男の子が二人、三人ともなると、食費がハンパじゃない、と聞く。
お米代だけでも違うし、そもそも、米を炊く「お釜」から買い換えないといけなかったりする。
あっという間に成長する子どもの自転車や靴を買ったりするのは、本当にバカにならない値段だよ、
特に男の子は、何故か靴にお金がかかるらしい、多分、消耗量が女の子と違うんだろう、活発に動くものなあ。
我が家は幸いにして女の子二人なので食費はそこそこ、それでも、やはり幼児期よりはよく食べるようになったし、
お年頃になれば「おしゃれ小物」も欠かせない、男の子より、下着代はかかるのよ、、
学費「だけ」じゃない、他の諸々がかかるってことをなかなかわかってもらえないのがもどかしいんだよな、仕方がないんだろうが。
ネットでは「子どもなんて邪魔」といわんばかりの人が結構いて、うんざりする。いきなり大人として産まれてきたみたいだ。
そういう心の貧しさも「お金」では癒されないんだよなあ、、、
子ども手当とかなんとか、うちはもう間に合いそうにないけど、子どもにお金がかかるのはわかるから、施行すればいいと思う。
子どものためにお金を使わないで、他になにに使うんだろう、道路も空港も、将来、大人になる子どものためだものね。
ところで、昨日「仙台油麩」と書いたが、正しくは「仙台麩(あぶら麩)」であった、有名なのね、ネットで通販してた。
ホームページにはレシピがいっぱいあったけど、我が家では、煮物などで残った煮汁を吸わせておくのに使ってる。
こういう貧乏くさいレシピにこそ、お麩に「いいもの」を使わないと、味が貧乏くさくなる。月1回の回転寿司もそういう感覚だと思うわ。
貧乏なんだけど、心まで貧しくなりたくない、それが「許せない!」人の貧乏くささに、涙。