夏の記録。(その1)

テレビは衆院解散でお祭り騒ぎ、やれやれ、やっとか、という感じだな。
昨日、ネットで初めての経験をして舞い上がって、せっかくのお心遣いにかえって失礼なことをしてしまったような。どうもすみません。
子どもたちはまったりと夏休みに入って、午前中の二人は部活に補習、午後から活動、
今年の夏、上の子はとても忙しい、スーパーサイエンス関連の催しやら、オープンスクールやら、夏期セミナーやら、お金もとんでいくわ、、(涙)
地方に住んでいると都会の大学を見学するのもお金がかかる、こういうのの補助はいくら民主党でも出してくれないだろうな、、
下の子の頻繁にある練成会だのなんだので私も行ったり来たり、ばたばたしてるんで夏は日記におとなしく「感想文」でも書いておこう。
と、言うわけで、「どっこらしょ」と読む小熊英二の「1986」、だらだらと、読めたところまでメモ。
今、まだ2章で、そこでまず気になったのが「ベビーブーマー世代」が、
「幼少期を発展途上国状態ですごしながら、青年期には先進国に生きていたという状態を引き起こした」(p100)のくだり、
1章では、ベトナム反戦への関心の強さを取り上げていて、
米国に対する反発だのは、現在の中国の少数民族弾圧に異常な関心を持つ、一部の集団を思わせて、
しかし、かつてはその米国の肩を持って豊かさを享受するが故に、戦争に対して、「加害者でもある」の意識を持っていたと、
日本人は今も中国の豊かな労働力のおかげで「低価格、高品質」な「もの」を甘受しているというのに、
自分たちがあの争乱の「加害者の一部である」の意識はあるかな、とか、
翻って、現代の二十歳の世代は幼少期の日本は先進国であったはずで、なのに今、緩やかに後退する国で青年期を送るという、
何とも「のぼり、くだり」の、40年を経て「対照的」な、国としての「頂点」は、やはり私世代の青春期、「バブル」だったのかな、とか、
考えさせられること、多々。私世代に反省も迫られているような、いや、大変面白いんですけど。
1章を読み終えた時、おお、この流れは私をどこにどう連れて行ってくれるんだろう、とわくわく、ドキドキ、でも、はらはら。
学生時代のように、徹夜して読みたいなあ、と思うものの、毎日、ちょっとの時間を「どっこいしょ」で使う。
脚注を読もうとして、つい、「丸山真男」のところを拾い読んでしまったわ、、、
失敗した、「私の丸山真男をどこのどいつが愚弄したー!」とキレそうになった、いやはや。本は順番に読みましょうね、と反省。
つい、笑ってしまったのは
「「われわれは『あしたのジョー』である」という声明を出した。これは現在のハイジャック犯が
「われわれは『機動戦士ガンダム』である」と言う声明を出せば、幼稚で独善的に見えるのと同様に、
年長者をあきれさせたが、若者からは共感をよんだ。」(p112)
ううむ、「ガンダム」がここで出てくるとは。小熊さんのこのなにげな「ぼけ」っぷりが私のツボを刺激する。
へらへら笑っていると、子どもたちが「これって笑える本なの?」と不審げ、夜、分厚い本の前で「ぐふふ」と笑う母親がいるのは教育的じゃないな。
ダーリンが「まだ読めてなかったの、あなたにしては遅いじゃないか」、でも、私が置いてあるのをぱらっと(出来るか?)読んだのか、
「この人の書いてあることは常識的だね」とめずらしく好意的、私の好きなものは何かとけなすのに。
色々あるけど、今日はここまで。この手のメモを時々書き残す。(予定)
長いようで、きっと、あっという間なんだろうな、本も、夏休みも。