子育て雑記。

大切な子どもを育てているのに不謹慎な、と思われるかもしれないが、上の子の学校行事に参加して、あれこれ見聞きする度に
植物を育てるのにやたらと肥料ばかりをやってはいけません、の話を思い出す。
植物自体に力があれば水を与えるだけで十分育つ、必要な養分は自分で取り入れてたくましくなっていく、
元々強い種であれば、むしろ肥料をやりすぎれば必要以上に栄養分を吸収して根を腐らせてしまうこともある。
同じことが人間にも言えるんじゃないかな、と時々思う。
上の子のクラスには、ありとあらゆる「最高」の機会を与えられすぎている子どもがざらに存在していて
親として、子どものために最高のものを出来る限り与えてやりたい、それが愛情だ、と信じている純真な保護者の方にとって
それをしないことは親としての義務を果たしていない許し難いことだろう、その考え方は立派だ。
でも、よいものだけを与えられたら子どもがよく育つかといえば、そうでもないんじゃないか、
私はある程度の「猥雑」がなければ子どもは強く育たない気がする。
「純粋培養」という言葉があるが、本来「混沌」とした存在の子どもにとって「いいものだけ」の環境は不自然な状態ではないか、
妙なものに執着しつつ、それをも飲み込んで、子どもは大人になっていく、その「機会」を奪いすぎることは、間違っていないか、
などと、むち打たなければすぐ手を抜きがちな自分のやり方を正当化しているような気もするな、
子育て中の人間にはなにが「本当」に「いい」のか、まったくわからない。
上の子のクラスの子どもたちのことで驚かされたことを具体的に書けば、進学校特別科で、毎日宿題、課題が山ほど出されるにもかかわらず、
駅前の高額塾に通う(故にその塾の大量の宿題も抱える)、その塾も一軒ではなく、科目別に何軒も掛け持ちしている、
その上に英会話塾、Z会、家庭教師、等々、我が子は未だにZ会だけで、それもなかなか期限以内に出せないで四苦八苦しているというのに。
それで、成績がどうかと言えば、意外なことに、うちの子の方がいい。
結果に結びつくことだけが全てか、と言われたらそうではないんだろうが、あまりにやらせすぎて、かえって混乱しているんではないか、
この先彼らのその努力が大学受験に結びつけば問題ないにしろ、勉強をさせすぎではないか、などと、
やはり最終的にどうなるかがわからないからなあ、、、、
いいもの「だけ」を出来る限り、って元々、よりよい環境にいる子どもたちに、それ「以上」は必要ないような、
何が書きたかったかわからなくなったんで、もうやめておこう。ドケチな私はそのお子さんへの「お金」のかけ方に驚いているのかもしれないな。
専業主婦母として、せめてお弁当くらいはバランスのとれたものを心がけようと努力しているのだけれど、最近、うちの子がリクエストする弁当は、
なんと、同じ「ドカベン」仲間の、「ごはん」「焼きそば(あるいは焼きうどん)」「揚げ物」「ゆで卵」の、ケータイでとってきた写真を見せてもらったが、
とてもかわゆい女子高生弁当とは思われぬ、炭水化物多めの「ザ・ジャンク!」ってかんじの弁当、これがまたおいしそうなんだなあ、、(涙)
バランスのとれた体にいいお弁当ではなく、そういうのもたまには食べたくなる、などと、まあ、子どもとはそうしたもの。
お友達のお母様の「名誉」のために書けば、たまに手の込んだ「五穀米弁当」になることもあるそう。(でもその友達曰く、「それはまずい」と)
子どもを育てるって、食べることからして難しかったりするんだなあ、そういうことです。