さまよえる「アエラ」タイトル、、、(と、わたくし)

朝日新聞をとっているので「アエラ」の広告をよく見かけて、毎度、その見出しだけでおなかいっぱいと思っていたら、
ネットで「35歳までに迷いを断ち切れ」なんて記事を見かけて、いやはや。
「迷い」がなくなるわけないでしょう、40過ぎても未だに迷いはありまくりだよっ!って、これに絶望してしまう人はいるかしら、そんなもんよ、人生は。
要は「迷い」をどう「処理」するかであって、これは「迷いを断ち切る」とは違う。「断ち切る」なんて考えの根本が間違っているよ!!
「迷い」とは「煩悩」なんだよ、108つも「煩悩」があるってことは、それがないと人間は生きていけない、そんなモン、「断ち切れる」かーっ!!!
私は時々「迷いのない人間」のようにいわれるが、「迷いがない」人間なんて存在しない、思うに「迷わない」と「迷いがない」は違う、
私は「迷う」時間が「もったいない」人間だ、「迷ってる」間に何かが出来るじゃないか、
「迷う」とは、何かを「したくない」理由を探している「時間」のことが多いものね、私の場合は。
二択の場合、「どっちもいや」のこともあるし、それでも「これしかない」のならどちらかマシな方を早めに選ぶ、
あるいは選択自体を全くしない、にする、って、人生の選択肢とは、そう多くないよな、、、
「何故」迷うか、それをよく考えた方が、「答え」は早く出る気はする。
「迷う」時間の多い人とは、「正解」を求めているんじゃないか、絶対的に「正しい答え」を選ぼうとしている、
私も若い頃は「正しい方を選ばねば」と思ってたけど、「間違ってたっていいや」と選んだ答えの方があとになって「よかった」の経験を重ねてくると、
世の中、「正しい答え」なんてありえないとわかってくる。どちらを選んでも「正しい」し、「間違って」もいる。
「選ぶ」って「正しい方」を「選ぶ」じゃなく、自分が「正しい方」に導いていける手段を選ぶ、ってことだと思う。
最終的に「選んだのは自分だ」との「覚悟」があれば、何とかやっていけるものだ。
といっても、やはり「迷い」はあるわけで、それとつきあいながら、死ぬまで生きる、と当たり前のことを。
記事内容とはかけ離れた方向に行ってしまったな。
しかし、以前、「アエラ」の「東大女子がどうの」特集を立ち読みしたが、何だ、この屈折ぶりは、と思った。
迷走している雑誌に「迷いを断ち切れ!」なんて言われたくないですな。(と、35なんてとっくにすぎてるおばはんがいってみる)
ほかのブクマには、「アラフォーはほめる」とあって、「アラフォー」にほめるとこなんてないよっ!!も書いておこう。
「アラフォー」ともなればほめても伸びません、「大人」ですから、なんちゃって。
アエラ」の世迷いごとタイトルについ、年甲斐もなくむかついた、
「迷いを断ち切れ!」なんて言う人の方が「迷い」がなんたるかすらわからない、さらなる「迷える」人間だと思うのでした。
多くの人の「迷い」の根本原因を探るのがジャーナリズムだろうになあ、、、