追記;「lawの日記」を必ずお読みください。

http://anond.hatelabo.jp/20080215043933をみて、久々に「ブクマ」、きぃきぃ、脳天、来ちゃったよ、
他のブクマに納得できる意見があったのが救いだ。
ちょうど同じくらいの年の子供を持つ母ちゃんだからこそ、わかるんだよ、「うちの子は大丈夫」とは言えないってこと。
子供のことを信じてないわけじゃない、もちろん、知らない人の後をついて行ってはいけません、くらいは教えてある。
くりかえし、くりかえし、子供が傷つくのが怖いから、教えている、でも子供は子供だってことも私は知ってる。
「優しそうな人に思った」くらいのことは泣きながら言いそうに思う。「私が悪かったの」とも。
例えば、家に早く帰りたくなかった、朝出るときにお母さんと喧嘩した、そんな「些細な」ことで子供って突飛なことを思いつく。
「ちょっとだけ心配させてやれ」「多分大丈夫、ケータイ持ってるし」「そんなに悪そうな人じゃない」(これ一番間違い)
自分の都合のいいように、結局「自分自身」を追い詰めていく、ごく、ごく「普通」の子供の思考回路だ。
まるでそれを責めるように、「自分を守る方法」と書く、守れたのは「運」がよかっただけ、
「運」の悪かった他の子供を考えてない。「間違った」時、「自分が悪かった」と考えることが一番本人を傷つける。
「運」よく、ひどい被害に遭わなかった「だけ」の人間が、それを理解できなくってどうするんだろう、
なんのために「運」がよかったの?他の「運」の悪い奴を見下すため?
魔が差した哀れな子供のことを思うと、本当に胸が締め付けられる、バカなことをした、と自分でもわかる年齢だ、
それでも悔しい、悲しい、ひとりぼっちで、「送ってあげる」の約束も守られずに暗闇に放り出された。
これがほんの「子供」であることの「罪」?「子供」が「子供」であることの罰?
もしそれがうちの子だったら、と考えずにはいられない。
例え、無理矢理連れ去られたとしても、「落ち度があった」と言われかねない世の中だ。
そんな世の中に「子供」として生きていること、なんとか大人になろうとしていること、失敗はいつかどこかで必ずある。
その時に、自分がわかっている以上のひどい言葉を投げかけられたら、
「子供」は「子供」であるが故に立ち直れなくなる気がする。それでいいのか。
「子供」が「子供」であることが許される世界にいつなるんだろう。

追記;コメント欄を閉じているこちら(http://d.hatena.ne.jp/law/20080215)の方から、トラックバックをもらっている。
「自衛のためにもう少し気をつけた方がいいよって意見に、それは被害者が悪いってことか!
って反応がわっと返ってくる状況は、やさしい人が親身になって子供に忠告したときに
「それって被害者が悪いってこと?」という子供が増える事態を招くだけのような気がして心配です。」
と「子供」に絡めるこの方の発想は、花岡記事のレトリックの醜悪さとも
「被害者が悪いってこと?」という反応とも、それほど変わりませんね。
私は書いているのは、どれだけ言い聞かせたとしても子供は子供であるが故におかしなことを不意にする、
っていう意味ですから。
現実的に「それって被害者が悪いってこと?」と聞ける子供であれば、米兵にはついて行かないでしょうね、
世間がいかに醜悪であるか気がつく能力があるようですから。
「子供」であったことがこの人にもないようです。
「law」という名前は何か悪い冗談なんでしょうか?「low literacy」の「low」なら納得ですけど?
私が子持ちであることを知っている上でこのようなことを書いたのだとしたら「親の罪は子供にも及ぶ」とでも考えていそうですね。
まともに育児をしているから、子供が子供であることがわかるんですが。非常に不愉快だ。