とある記憶。

ダーリンが早々に買ってきたくせになかなか読まないこうの史代この世界の片隅に 上」を読んだ。
なんで読まないか聞くと「悲しくなるから」と実に乙女チックな理由で、乙女な時期より乙女なかけらもない私がさくさくと。
読み終わって、中学の副校長先生を思い出した。
国語が専門で、いつもきちんと髪を七三に分け、フレームの太い分厚いめがね、白いワイシャツ、太いネクタイ、
たばこの匂いが染みついた、大昔の田舎の学校によくいた、「いいおうち」出身の、いかにも「先生」な容姿の方だった。
先生は従軍経験者で、戦争に行ったことはほとんど生徒に話されたことはないのだけれど、
当時もっとも荒れた(と言われていた)私の中学で、授業がまともに出来なくなるようなクラスにおいても、
その先生の時間だけは不良達もおとなしくなる、そう言う静かな強さを持つ存在だった。
確か「相聞歌」を習っていたときのことだと思う。先生はご自分が結婚されたときの話を話してくださった。
出征することになったので、大あわてで結婚が決まり、式のたった3日前に初めて婚約者の方と会われたそうだ。
私たち生徒はその「衝撃的」な事実にざわめいた。生徒達は矢継ぎ早に質問しはじめた。
「センセー、相手の人がすごい「ぶす」だったとしたらどうしたんですかー?」
「昔は、そんな失礼なことは考えません。」
「センセー、「選ぶ権利」ってなかったんですかー?」
「昔は、そう言うものはなかったんです」
「センセー、他に好きな人っていなかったんですかー?」
「昔は「男女7歳にして席を同じにせず」で、出会いなんかありませんでした」
お座敷で向かい合って、しばらくして庭を案内するように言われて、ようやく二人になれたとき、
それでもほとんど何も話さず、ただ庭に落ちていた松葉を懐紙に挟んでそっと渡したのだと言う。
「センセー、なんで松葉なんですかー?」
「松葉は必ず二つひと組でしょう?私たちもこの松葉のように二人でいましょうね、と言う意味だったんです」
「センセー、それでその人はそれがわかったんですかー?」
先生はにっこりされた。松葉を渡した後、順調に式を挙げ、その翌日には出征、戦争が終わって帰ってきた後はずっと一緒だと
「皆さん、「愛」とか「恋」とかってね、「ペらっぺら」のものですよ、そんなもの人生でちっとも大切じゃないんです」
先生はその当時、一部女生徒に異様に人気で、クラスの片隅に必ず1冊や2冊は転がっている
あのおどろおどろしい表紙の「ハーレクィンロマンス」を取り上げて、ぴらぴら振るいながらおっしゃった。
「愛や恋なんかね、ものすごく卑近なものなんですよ、人生で大事なものは他にもっとあります」
あれは中学2年だったか3年だったか、とにかく「愛が全て」的な世界にどっぷりとこれから入っていこうとしている世代に、
黙っていても威厳の感じられる先生にそう言われるのは大きな衝撃でもあった。
「先生の「今」の奥さんは、その同じ奥さんなんだろうか?」などと真剣に話す男子生徒がいたりして、
男女ともに先生のその話は強く印象に残ったようだった。
私もそれ以来、大人になるまで、「結婚」というと先生のその話を思い出していた。
その先生にとっての「結婚」は「戦争」というものをぬきにしては語れない。
非常に特異な経験を経て初めてまともな結婚生活を営むに至ったと思われるのだけれど、
それ以上に私は「結婚」というものがもっと人の根本的な成り立ちに関わっている気がして、
それが必ずしも「愛」や「恋」といったものではないのだと、
例えば「家」同士の釣り合いや、何らかの「都合」、そうしたもので始まって、それでも成り立つ、
他人が二人で何とかやっていくのに、「愛」や「恋」以上に何か大切な、そんなものが存在するんじゃないのか、と
実はその当時も、今も、考えている。「愛」や「恋」は単なる「きっかけ」に過ぎないのではないか、
それが本当に「一番」大切なものかどうか、少し、疑問に思っているところもある。
以前、鶴見俊輔さんが「愛は他の感情同様、それほど純粋な感情ではない」とおっしゃったことも思い出す。
「センセー、へーん!」などと生徒に叫ばれて、わはは、と笑った先生はいつも満足そうだった。
「世間でね「愛」とか「恋」とかいわれているものは、あれは「肉欲」っていうもンです、言葉に騙されてはいけません」
「センセー、「肉欲」ってなんですかー?」「それは辞書で調べなさい」、
出来の悪い中学では「肉欲」の意味を知らないものが多かった。(性格の悪い私は知っていたが。)
こうの史代の作品を読むといつも心の中の何かにふわりとふれられたような気になる。
それが気持ちのいいものかどうかは時と場合による。今回は、どうかな?ちょっと自分でもよくわからない。
昔、私はよい先生に教わったのだな、と改めて思い出した。