「ラッセン」?

かつて「機械が嫌いじゃないから機械って呼ばれても平気」と発言した以外はいつも楽しみに読んでいるところが
悪趣味の極みの見本として「ラッセン」の絵をあげていて、それだけで笑ってしまった。
ブクマコメントに「ラッセンの絵をうっかりほめたらとんでもないところへ、、」とあって、おお、激しく同意、
「とにかく叫んで逃げるんだ!」(注、幼児向け不審者対応絵本のタイトル)と言いたくなるな、
遊びに行った先にラッセンの絵が飾ってあったら。
と言って、かつて遊びに行った先にラッセンの絵が飾られてたことがあるんで、そのとき叫んで逃げたわけでもなかったりする。
そこは、元「ヤンキー」家、30万円をローンで買ったそう、
「幸せの証」の絵のようだった。そういう絵を買えるような生活になったと言うことの。
私は息するように私の前で「ずべ」という言葉を使ったその元ヤンキーの彼女が大好きで、
その言葉は単に「ある」というだけで使うことのない、初めてその言葉を「なま」で使う人に出会ったんで感激してしまった。
一生彼女について行こう、と思ったが引っ越したんで最近はあってない、残念。
ま、それはともかく、書かれた方のご意見にはほぼ同意するんで、ふと、もし子供が一人暮らしをはじめて
部屋に「ラッセン」の絵があるのと、「とんでも本」があるのと、どっちがましか考えてしまった。
どっちだろう、「ラッセン」?なんか「ラッセン」の絵がある悪趣味よりも消費者金融に借金がないか、
そっちが心配になるよな、と言って「とんでも本」もつらい、うちはそっちに走る素養が全くないはずの家系なんで
「私の教育のどこかが間違ってた?」となってしまうだろうな、ああ、どっちがマシかしら、「ラッセン」「とんでも本」、、
ラッセン」の絵の良さは私にはさっぱりわからないものの、私は元々大衆文学の好きな人間なんで
絵の趣味もそれに準じている。悪趣味の極み、ヴィクトリア朝期の絵、とかそれ以降の絵。
ジョン・シンガー・サージャントのわかりやすい絵が好きだったりするんで人にほめられることはないわな、と知ってる。
大昔、1人で英国に滞在したとき、テイトギャラリーでもっとも有名な「Carnation,Lily,Lily,Rose」を見て感動した。
今、うちにはそれのわりと出来のいいポスターが階段の踊り場にある。
「Garden Study of the Vickers Children」と対で額装をした、リビングに飾るにはあざといんでやめてる。
読んでる本とか、飾ってる絵とかで、判断されるのはつらいものがあるけど、
芸術に「本流」、と言うか「王道」、うーん、「スタンダード」?そういうものがあるのははっきり意識した方がいいと思う。
それを認めた上で、なにを好むか、それは個人の問題、本流あっての亜流だし。
こういう絵は趣味がいい、はわかっているに越したことはない、好きかどうかは別にしても、と、思ったのでした。
ヤンキー家では「ラッセン」の絵は自慢の一品で、それで幸せになれるのなら、まあいい絵なのかな、と
相変わらず気色悪く蛍光色で身をくねらせるイルカをじろじろ眺めたのをよく覚えている。
時代の「絵」、きわものだよね、歴史の中で「こんなん、ありましたー」と、資料にはなるんじゃないのかな、「ラッセン」。
ところで、最近「中道」って言葉は「言うたもん勝ち」の薄気味悪いモンになってるようで
それだったら自分のスタンスをきちっと表明する方がまだマシのように某所を読んで思ったのでした。
カテゴリーとして「自称中道派」ってのを作った方がいいのかもね。やれやれ。