たん、たん。

中学の国語の教科書にある米倉まさかねさんの「大人になれなかった弟たちへ」で、
最後の「母は初めて泣きました」の一文にもっとも心動かされた人の文章を読んで
私は、この人は「母」であることから一歩も逃げていないんだな、と思った。
私はこの一文にそれほど心が残らなかった。
むしろ子供がミルクを盗み飲むことの方が強く印象に残って、この子供のどうしようもなさ、
戦争の悲惨さ、が身にしみて感じられて、
でもよく考えてみたら私はミルクを盗み飲む「子供」の視線でいるのだと、
私はその後ずっと罪悪感と共に生きてきた「子供」になってあの文章を読んだのだ、と気づいた。
私は、母親になった今でも「母親」であることから逃げようとしているのかもしれない、と時々思う。
「母は初めて泣きました」は優しくて強い母が亡くなった子供を小さな棺桶に入れて、やっと泣けた、
それまでずっと張り詰めていたのがふつっときれた、そういう深い悲しみを表している。
米倉まさかねさんの「たんたん」と美しい文章の中でその言葉は消えかかる星の光のように
最後に静かにある。
これを見過ごさないでいた人は常に「母」の視線でものを見ている。
私にはそこまで母親としての覚悟がない。
ふわふわと、どこかで母親であることを忘れようと、だから私は日記に馬鹿げたことを書き、脈絡のない読書を続ける。
母であることに正面から向かい合っていないような気がする。
だから、何かあったとき、おろおろと言わなくてもいいことをつい子供に言ってしまったりする。
私が揺れたら子供も揺れる、そのことがわかっているのに、ごく1部分、不安な私が顔を出す。
揺れていないふりをしながら、ひょっくりと、私は「母」以外の「私」の顔を子供に向ける。
それはどこかで、よく泣いた母の姿なのだと、「こんな私だからあなたがこうなった」と泣く母なのだと
そしてそのことに傷ついている子供の私が今の私の子供で、
そんな不安を抱えて私自身がそうだったように、子供は生きていくのだろうか、と
仕事が忙しすぎて子供を姑に任せきりにせざるをえなかった母に私はずっと「育ててもらった」という気になれないで、
とても欲しかった自分の子供なのに、いざ本当に「母親」になった時、私はなるべき「母親」像を描けないでいた。
それでも、なんとか「母」になろうと、自分がいやだったことはしない、こうしてもらえたらうれしかった(かも)の
たどたどしい基準で「育児」をやってきて、ついでに「育自」もやってきて、いつの間にか子供はすっかり大きくなった。
それがいいことだったか悪いことだったか、外から見れば子供達にはなんの問題もない、
性格も成績も誰からも申し分ない「優良」のはんこが押されるのだけれど、
私は自分が「逃げてる」母の部分が実は子供達にとって一番大切な、与えなければいけないものだったんじゃないか、と
ずっと不安に思っている。
「母は初めて泣きました」の、感性、私が見過ごしているもの、渡し損ねた何かが
いつか子供にとてつもない「空虚」を感じさせるんじゃないか、と私自身に欠けている何か、
ひょっとして、子供時代に母と密接にかかわらなかったがために受け取れなかった何かがあるんじゃないか、と
どんなときも「母」の感覚を失わない人の書く文章を読んでいて、思う。
乗り越えてきた痛みがまるで違う人なのだから仕方がないのだと思いながらも、
私もいつか完全な「母」になりたいと、願っている。
米倉まさかねさんの書く文章はいつも「たんたん」としている。
それはまるでリズムをとるかのように、ただ「たんたん」と、悲しいことも、哀れみを乞うことなく「たんたん」と、心に響く。
その人の感性は、私にまた「たんたん」と伝わってくる。
私も「たんたん」と、ただ「母」でいられたら。