かもかのオッチャンと、かもちゃん。

芋たこなんきん」が最終週なのにとても見られない、だって大好きな「かもかのオッチャン」が
亡くなられてしまうんですもの、、うううう、、、ああ、なんで誰かが孫を産んだとか、
そこらあたりで止めておいてくれんのか、「かもかのオッチャン」、死なんといてぇー、、
で、何故か、かもちゃん、鴨志田穣さんを思い出す。まだダーリンが転職する前、定期的な休みがとれていた頃、
ミーハーなダーリンが「アジアパー伝」を愛読して、アジアのあちこちを子連れで旅行した。
西原さんのマンガが好きだが、いわゆる「挿し文」としてもっとも充実していたのはやはり配偶者であった
かもちゃんではなかったろうか。鴨志田さんが描くアジアは湿度の高い独特の匂いがして好きになった。
私はどちらかと言うと寒いところが好きなので、ダーリンがアジアに行きたがるのを当時は
あまり理解できなかったが、行ってるうちにだんだんと好きになってきた。私的にはマレーシアが好きだ。
行った時、貧しさの中に登り坂な活気があって、少し前の日本ってこんな感じだったんだろうなと思った。
私は「アジアパー伝」が「アジャパー」だと言うのに気がつかず、
(しかも「アジャパー」ってなんだ?ダーリンに聞くと、あっさりわかるけどウンチクがうるさいんで聞いてない)
また、はじめはかもちゃんの文章を読んでなかったので後になって読みはじめていいなあ、と、
特に最終巻の後書きが泣けたなあ、と「パンツを買ってあげなくなったら愛がなくなったと思って」
と言ったのを覚えてくれてる男性は沢山いるのかな、うちのダーリンなんか新しいパンツを妙に嫌がるんですけどね、
「やっとゆるゆるでよくなったのにー」って、あんたが浮気したら私が恥かくやんけ、とつい思ってしまったり。
いやそれはともかく、あれだけネタにされて罵倒されてもやはり「ありがとう」と言えたのは立派です。
と言って、大人の私は、書かれた以上に大人の事情と、きれいごとじゃない愛憎が交錯したと思うんですが。
高知に住んでた頃、「恨みシュラン」の連載を終えたばかりの西原さんが小さな講演会を開いて、
ダーリンに頼まれて聞きに行ったことがある。西原さんは小柄で、色の白いきれいな人だった。
でも眼光鋭く、講演(?)のあとの質問者をばったばったとなぎ倒していく様は「こわい」の一言で、
遠目で見守るのはいいけどあんまり近くに来て頂くと困ってしまう人なのかも、なんて凡人の私は思ったものだ。
やはりゲージツ家だから、色々と大変なんだろうなあ、とか、その後しばらくして、またどうも
お腹の大きくなった西原さんを帯屋町で見かけたような、西原さんの顔はどうも高知のはちきん特有の顔なので
似た人だったかもしれんのだが。
西原さんの描く海の色は私が高知で見た逃げようもなく広がる大平洋の大海原だ。
海と山に迫られた高知と言う土地の独特のあおい色、夏に見ると気がふれそうなくらい本当にあおい。
あのあおい海の流れに死んでしまった大事な人はのって行ってしまう、と西原さんはどこかに書いていた。
かもちゃんもまた、その流れにのって行ったんだろうなあ。私は西原さんの描く海の色が大好きだ。
かもちゃんは、西原さんに見送られて幸せだったんだろう、
でも私はかもかのオッチャンが死ぬところを、「みーたーくーなーいー」、、、、