雑記。

書くことで自分は他人を傷つける「力」を持つと誤解している人がいるんじゃないかな、と思う。
そう簡単に、他人の言葉には傷つかないものなんじゃないのかな、腹が立つことはあっても、
少なくともネットで日記を書く人間はある程度言葉になれてるんで、
時に収集がつかないほどの大論争が現われたりして、でもそれで傷ついてる人っていたのかな?
どうも、自分の書いた言葉に酔ってる人が私には見苦しい。多分自分自身にもそういうところがあるからだろうな。
こんな思いがけない自分自身が見えてくるのが、書いてその反応を確かめる「功」だと思ったり。
自分のために書くんだよなあ、誰かのためじゃない、そういうことを改めて自分のために書いておく。
えーっと、傲慢かもしれないんですが、私はカミソリの人の言葉遣いはやっぱりすごくうまい、と思います。
どうもよそにネガティブコメントを残す人らしいんだが
(うちの息たえだえのi-bookちゃんはブクマコメントが読めない)その切り口は綺麗なんだろう、
だから腹が立つ人もいるんだな。昨日、家にある最新型のパソコンでネットすると
びっくりするほど色んなところがよく見えて自分の所に残されたブクマコメントもひさびさに読めた。
へえ、こんなこと書いた人いたんだな、気がつかなくってごめん。子供が小さい頃の母の世界は大変だと書いた所で、
子供が大きくなったらどうか、とたずねてくれてるのかな?これは、子供が大きくなってくると
親との力関係がある程度変わってくるんで子供を「道具」扱いできなくなる気もするな。
私の周りの親しい友達が子供を「だし」に使うのはなにかやむをえぬ事情のある時のみで、
他人を圧迫する時に子供ネタを使う人はいないからなあ、具体例はあげられない。
ただ、いつまでも子供をお人形のように大事にしてる母親ってのが残念ながらいる。
理想的な環境にこだわり過ぎる人がいて、「ここをこうあらためてくれないと安心して子供を学校に預けられない」
と、子供より学校によく来てる人を知ってる。いつもものすごくニコニコしてる人で、ちょっとこわいんで
あんまり話をしたことがない。役員は進んでしてくれるんだけど。
こだわりが強くて、仕事がなかなか終わらん、トホホ。あ、この人もまた子供を「道具」あつかいしてるか。
子供が本格的な不登校になって(現在中学生)、かなり深刻らしい。小児精神科に行ってる(わざわざ遠方まで)
そうだ。言っちゃあいかんと思うがむしろ母親の方を心療内科で見てもらった方が、
とありふれた母親である私界隈ではもっぱらの、、彼女は「理想」という病に冒されてる、かな。
言葉の定義づけは難しくて私はこういう意味で使っているけど、受け取る人によって別の意味を持ってしまうし、
ここらが文章を書くプロであるかどうかの違いなんだろうな。
このあいだ読み終えた「ニートって言うな!」で内藤朝雄さんが使う「教育」の言葉と、
本田由紀さんが使う「教育」の言葉は別物だとわざわざ内藤さんが記していたのが印象に残った。
今、本田由紀さんの「多元化する、、」を読んでる。面白い。でも、本田さんの文章にはあまりなれない。
内藤さんの文章の方がわかりやすくて好きだ。私が使う「理想」とは時に「空虚」を意味しているので、
それを誤解されると困るな。私は「理想のナントカ」ってのには、心ひかれない。
素晴らしい理想もあるのは知ってるんですが。
いつ、お亡くなりになるかわからないもう6年以上使ってるi-bookちゃん、おヒマを出せ、とダーリンが、、
つらい、、