あれこれ、ぼろぼろ。

「とらや」の最中はすきなんだが子供の頃から羊羹が苦手で切って出されると閉口する。
ばあちゃんから貰うお菓子で嬉しかったのは風月堂のゴーフルでしたな。
ばあちゃんは棚から出してきて切って食べさせてくれる人だったのでいつもあれを丸ごとぱりんと持って食べられたら
どんなに幸せだろうと思ったもんだ。お嬢様にと育てられたはずが遺伝子になんか不具合いがあったんだね、
みかけはともかく中身は随分ぞんざいな娘になってしまってまたいい加減な母親やってるんだからばあちゃんは
あの世でなんと思われていることやら、でも取りあえず世間的には申し分のない結婚をしてそれなりに楚々としたフリも
してるんだから我慢してもらおう。もっとも上品な方のばあちゃんは母方なんだが。
御中元、終わり。あとは歯医者通いのみ。今行ってる歯医者はかつての私の上司の息子さんでうーん似てる、
と思いながら大口を開けて馬鹿面をさらす。全然挨拶もしてないんだけどどうもこっちがわかってるようでちょっととほほ。
うるさい上司だったのであんまりもう交流したくないのよね、さっさと結婚退職した私をいつも褒め上げてて
「いて欲しい、いい子ほどすぐ売れる」なんて、かなりなセクハラ発言では?そんなお世辞喜ぶほど馬鹿じゃないわ。
受付に奥さんが時々座っててあの父ちゃんだと結構苦労あるだろうなあ、としみじみ。
いい人だったんだけどほんまのおっさんだったので相当扱い注意で、あわない人は全然ダメだった。
私は許容範囲のお気に入りだったけど自分の趣味にあわない人は全く人間扱いしないので
見てるとすごく嫌だったこと思い出す。
さすがに息子は接客業らしくソフトでいい。仕事も父親と同じくプライドを持ってちゃんとできる人だしね。
ああ、早く治って、なんかいつかお父ちゃんの事切り出されそうで恐い。
世の中には何故得体がしれちまう保険証なんてもんがあるんだろう。お父ちゃんはもう退官したんだっけ、
なんせ、ずっとあっちこっちいってたんでうとい。そういや私が南京大虐殺の事を知ったのはイギリスでだったなあ、
イギリス人に教えてもらった。「何で知らないの?」と責められトホホ。
ステイ先の奥さんのお父ちゃんは日本軍と戦わされたので日本人を憎んでた。
ああもむき出しの憎しみに出会ったのはあとにも先にも初めてだったな、
日本人捕虜になった友人が死んだせいだと教えてもらった。
日本人は人間じゃないので視界に入れることすら我慢できないというので来た時は大抵外へいった。
いることで娘の家が汚されたと主張していたのはまいった。娘のほうはいい人だったなあ。
随分いろんな憎しみにあの国では出会った。驚くばかり。腹は立ったが憎しみにまでは至らなかった。
憎しみはどこで醸造されるんだろう。
ブログのあちこちを見て腹は立てるがすぐ忘れる私は、やはり幸せなのかもね、
性格にもよると思う、あんまり腹が立つとむしろ哀しくなる。
色々かこつけてブログをしばらく休んだのにライブドアーの例のページからの訪問者途絶えず。しゃあないのか。
もうすぐ夏休み。細かな用事が山ほど増える。先生はよ、直してって言えたらいいのになあ。