英国・女王陛下薨去雑記。

世界のバカ男子の妄想と願望をてんこ盛りにした

英国発の「007」シリーズタイトルに「女王陛下の007」がある。

イアン・フレミング、最初の007作品が発表されたのが1953年、

女王の戴冠式と同じ時期、要するに「007」は常に女王とともに、である。

そう考えるといかに治世が長かったか、

「007」シリーズが現代に合わないシリーズとして存続の難しさを思うと同時に

「王」の治世が果たして時代の流れに即しているか、

一時期「skip charles」なんて言葉が流行したように

王族の存続が危ぶまれるのは仕方がないのだろう。

この先しばらく「王」の治世が続くことを世界はどう見ていくのか、

「王族なんてもういらない」になりそうではないか、

今までは「女王だから許された」があったんじゃないか。

昨日はチャールズ3世の「お洒落」なる記事が早速はてなの話題にも出たように

葉巻だ、靴だ、といかにも「男臭さ」が強調されて、

エリザベス女王の存在が担ってきたある種の優美さが早くも失われている。

世界が今喪に服すのは今までの女王のイメージの良さ、

そもそも戦火を経験した現在最後の君主であった、

まだ20代のうちに父を失い女王の座に就いた女性であったのも好印象の元だろう。

「クリスマス」同様いまや日本の文化的レジャーとなった「アフターヌーンティー」も

英国に「女王陛下」があって、愛されているものに見える。

「王様」の国の「アフターヌーンティー」ってなあ、、と

「アフターヌーンティー」の優雅さが欠けてしまうような気がするのは私だけか。

エリザベス女王はたぐいまれな存在で常に努力し続け

その名のもとに様々な問題も隠されてきたとは思うが、

やはり世界が悼むにあたる人であり

批判は多いのだろうが、今、それを大声で言い立てるのは場違いではないか、

せめて葬儀が終わるまでは控えて差し上げるのも「死んだ」(=負けた)敵への

配慮ではないか、と個人的には思う。言ってもよいが時期は選べ、かな。

「女王」に仕えるナイト(騎士)としての007であったから

シリーズ続行が許された、それではこれから国王陛下に仕えるの007が

女性であるべきか、となると「体を張って男に尽くす女!」という

あまりにも都合の良すぎるシリーズになり

(最近、アマゾンが異様に押している「力の指輪」の主人公は女性だが)

男性でありつづけても、「男・男」と妙に力を誇示し続けるようで、きな臭い。

創作の世界でも王族が絡むものは作り方が難しい、

日本と同様、英国の王制度がどうなるのか、

私は生きているうちに見られるのか、チャールズ3世のイメージ戦略はどうなるか、

楽しみにしていよう。おわり。