小説・「パトリック・メルローズ」その2

この小説の登場人物の誰にも共感できないので困る。

私が下層民で、出てくる人物ほぼすべてが中~上流の貴族だからだろうが、

出てくる連中、無個性か、個性がありすぎてろくでなしか、

パトリック自身もいつも何らかの依存症を抱えているので

(薬とか、女とか、酒とか)私のなけなしの同情心は吹き飛ぶ。

多分、中・上流階級の方々は私が好む「ガッツを見せる!」を下品と思うので

あえて著者は彼らが努力する場面を描いていないのだろう。

登場人物の中で一人だけ、ガッツを見せるのが、中の下くらいの階層出身で

パトリックの父親のろくでもない友人の元愛人のち、裕福な貴族と結婚した女性で

階層を上げる努力を果たしたと思ったら、夫にないがしろにされる、

しかしされたとわかった瞬間に、夫を置いてさっさと出ていくのだからたくましい。

ドラマの中でもその場面は痛快だ。

パトリックのくそ父親の傍に存在して腐らなかったのが彼女ただ一人。

上層志向が強く子育てを拒否するろくでなしだが、あっぱれである。

このエピソードのタイトルが「サムホープ」、小説でもドラマでも3作目。

「some hope」の意味はおそらく「なけなしの希望」、

彼女のその後はドラマでも小説でも出ないが、不幸にはなっていないだろう。

最終巻「アトラスト」で、精神的にも金銭的にも振り回した母親が死んで

その葬式の場でようやく、パトリックは母親からも卒業する。

パトリックは母親が死ぬまで、母親と自分は父親の犠牲者で

あんな父親を夫に持たなければ母親はあんな人間にならなかった、

と、思い込んでいたが、実はそうではない。

自身の子供への虐待は夫婦の共同作業だった。

実は、母親は息子ばかりか息子の周囲の子供たちをも自分の夫の嗜虐のいけにえに

すすんで差し出していたことにも気が付き

両親ともにどうしようもない人間だったのをようやく認められるようになる。

自分が父親から性的虐待をされていたことも母親は「知らなかった」のではなく

「見て見ぬふり」をしていたこともようやく理解する。

おそらく、母親が存命のうちはそれを認めたくなかった。

そこがこの物語の救いの部分で

ろくでなもない両親に虐げられてもなお息子は「情け」を奪われることはなかった。

おそらくこの心は継承されたものではなく自分で培ったものだと、

両親の愚かさを容認することで自分自身を受け入れる。

だからこれからの人生は少しマシになるんではないか、の結末だが、

先ほど、ドラマ主演のバッチ君のインタビュー記事を読むと、

主人公は「結婚して孤児を養子に迎えて家族を持つ」の部分があったので、

あの可愛い息子たちはやはり養子だったかー!と驚いている。

長いんで読み飛ばしたかな、やはりべろべろに酔っぱらったくそ親父は

幼い息子に割礼失敗という究極の性的虐待をして生殖能力を失わせたか。

小説のその結末の衝撃をドラマではもっと柔らかく描いたよう。

ドラマは上手に作られている。(続く)