むかむか。

「いつまでも同じことに腹を立てるのは年を取った証拠」らしいが、それで上等、心のそこからババアだよ、
故に、今回の新幹線殺傷事件にはことのほか腹がたってしかたがない。
秋葉原事件のときもそうだったが、結局は「殺され損」を容認するのか!と言うことだ。
居場所を失った人間なんて、この世界には山ほどいて、それでも犯罪に手を染めることなく生きている人間が大半だし、
金もなく追い詰められて腹もすいてみたいな人間がまずやってしまう犯罪は、せいぜいコンビニでの万引きだろう。
それが「人間」と言うものである現実から目を背けて「いばしょがぁ〜」とか「にげばしょがぁ〜」だけで
自分自身の物分りの良さを見せつけて悦に入る人間が私は反吐がでるほど嫌いだ。
そういう人間が、結局加害者家族を追い詰めて自殺させてしまう、
同じ状況下に置かれても、決して殺人などしない人間であると言うのに。
そして貧しさへの偏見も助長する、貧しいからと言って犯罪をする人間なんてそんなにいるわけではないのに、
何でもかんでも「貧しさがぁ〜」と言う、
じゃあ、金持ちの子供は決して犯罪しないか、単にもみ消してもらってるだけだよ、
金があっても屑は屑、ってな事例は私は山ほど知っている。
そもそも、性犯罪なんかは貧しかろうが金があろうが、やる人間はやるんだから、殺人も同じだ、と何故考えないのか、
私はいつも不思議でしかたがない。人を殺そうと考えることと、性犯罪をすることはたぶん同じレベルで考えられることだ。
金がないのに、新幹線に乗り込んで人を殺そうとするその異常性は、
居場所だの逃げ場所を提供されたところで、抑えられるものではない。
性犯罪を繰り返す人間は居場所があれば、犯さないか?ってことだ。
もっと言えば、育て方ひとつでどうにでもなるように思うのも間違いだ、
私は異常犯罪者の育てられ方が時々常域を逸しているのは、
おそらくは同じ異常な因子を自覚している親が自分よりも遥かにその異常な因子を多く持つ子供を
誰よりも早くに認識してしまうからじゃないか、
自分自身もやや世間から外れた人間であるが故に、その不安を他人と共有することが出来ずに異常行動に走る、
そんな気がしている。誰にも頼れない親を持つ子供は悲惨だ、と言うのは私にはよくわかる。
「だからいばしょがぁ!」と言うだろうが、既に与えられた居場所があってもそれを散々壊すようなことをする人間に
どうやって「居場所」なんて与えられるのか、高みの見物で、わかったように「逃げ場が」なんていうのはやめて欲しい。
何をやってもどうしようもない人間が必ず出現する事実から逃げる場所がある人間はいいよな、
と私は心から思っている。
簡単な受容や容認は、なんと自分を傷つけず、ラクであることか、そして被害者は生贄となる。
この世の中は生贄を容認するすばらしい世界であるのに反吐が出る。