カバン哲学、、

「女のカバンはその生き様だァ!」などとうわごとをつぶやくほど、最近カバンのことばかり考えている。追い詰められてるわ、私、、(涙)
「必要になったら買えばいいわ」などというイケイケドンドンな性格が災いしたと言いましょうか、でもその「必要な時」に探してもないのが「カバン」というもの、
「なんでもいいからとりあえず買っとけ」というほど、こだわりがないというわけでもない中途半端さが悪いのよ、こんなところで己の「ミエ」がわかるわ。
ここ数ヶ月探し続けてわかったのは、私が求めるカバンは結局「その「場」に沿った外さないカバン」でその用途のすべてを満たすものはこの世に存在しない、 
要は「複数個持っておけ」ということだわ、それもちゃんと「前もって買っておけ」、「備えあれば憂いなし」をいい年になったらやっておけ、と猛反省。
葬式用のバッグはあるのよ、文句ないものが。それも前もって用意しておいたものだしな、バッグは一朝一夕にあるものではないのよ、、、なんちゃって。
考えてみればここ数年、ふとカバンを買ってみる、などという無駄(?)な時間がなかったわ、心に余裕がなかったというか、かばんに構うほどの神経が死んでいた、
家のことにかまけてそれを盾にして怠けていたのよ、社交生活も。「はい!それ外したー!」がわからない世界に閉じこもっていたのよね、、
まあ、ゆるゆる軌道修正することにするかな、結局、ひとつのカバンを永遠に愛用できるほど、世の中は甘く出来ていない。(のか?)
昨今の景気や円の動向を見るにブランドバッグはとりあえず20万程度まで値段を上げておこう、昨日、ヴィトンのサイトを見て驚愕したわ、
先日お会いしたマダムが下げていたバッグは軽自動車が新車で買える値段だったわ、軽自動車が腕にあるのよ、ひぃいぃいぃ、、、
と思ったが、時計は下手したら中古のマンションくらいの値段のものもあったわね、それをたまにさくっとつけてる人も見かけるわ、私の社交生活はどうかしている、
バッグを探すより、その社交生活をどうにかしたほうがいいんじゃないか、という気もしてきたわ。張り合う気はないが浮かないように気をつけたい、と願うのでした。
そしてとりあえず自分の持っているヴィトンは「キーポル」ではなく「スピーディ」であった、をメモ。ちゃんと名前ぐらい覚えておけ、ボケ防止のためにも。
カバンの求道者の道は険しい、、(か?)