読書メモ「堕落する高級ブランド」・続き

ベルナール・アルノー」のインタビュー本は評判がいいようだ、借りてきて読むかな。
アマゾンの紹介にあったアルノーの「自分は富裕層ではない」発言が面白い、そう思わなければこれだけのことはできそうにないものなあ。
読んだ本がもう手元にないのでおぼろげだが、「ロゴ」と「タグ」の問題から、中国での生産、コピー商品の蔓延、など、など、
「アウトレットモール」が世界で展開されていることは知らなかったので、驚いた。日本の独自の商売方法かと思ってたなあ。
それからここ10年ほどでヴィトンを抜く勢いの「コーチ」のことなど、今はあのロゴマークの布地バッグが有名だが、
私は「コーチ」といえば、丈夫な革鞄のイメージだった。最近はあまり見かけなくなったな。
昔持ってた丈夫な革鞄、あまりによく使って、それでも愛着があって手放せないで再々持っていると、某奥様に「もうそれはお暇を出しなさい!」と叱られたわ、、(涙)
「いい年して、ボロボロのカバンを持つのはどうかと思う」と真剣な顔で言われたので、泣く泣く捨てたがやはり持っておけばよかった、
今はもうない純正「アメリカ製」なので。「コーチ」はもう身も蓋もなく中国産なのよね、惜しいことをした。
良いものはお手入れして使いましょう、ということで。
この本で初めて知ったのが、欧州では「メイドイン○○」の表示規制がないということ、つまりは中国製を一旦自国に持ち帰って「メイドインイ○リー」にしても何ら問題ないらしい。
日本が世界的にもこの手のことに厳しい国らしいというのには驚かされた。
もっとも、日本でも「国産」と銘打ってもその「国」の前に「中」が抜けてるんじゃないか、と疑われるものは結構あるけどな、特に食品関係で。
なんにせよ、「ちょっとリッチ気分」だけで構わない一般庶民には「ロゴ」や「タグ」が有効なので、それを売る側が考えついたのはすごい、
しかしその一方でブランドの大株主がデザイナーに「売るためのファッション」を提案する為、才能あるデザイナーが苦しむことは納得、
アレキサンダー・マックイーンが突然亡くなったのはそういう理由があったのかも。気の毒に。
アメリカのセレブと専属スタイリストとブランドの関係、インドにあるという特殊なクローズドのブティックなど、
著者はこのインドの富裕層だけのためのブランドセレクトショップを妙に持ち上げていたが、私はそれが著者の結論かと思うと情けない。
ファッションのフラット化というのは面白い現象だと思うんだが、やはり「特別な人間だけに特別なものを」の排他性はこの手の人が発言すると非人間的だ。
著者は決してセレブではなく、むしろセレブがいなければ存在し得ない人間、つまり「王様がいないと困る、なぜなら私が仕えられないから」という、
本末転倒な発想を感じて、最終章で著者が嫌になった、「進歩」より「停滞」を望む人間は嫌いよ。
クローズドのセレクトショップなんて世界中にあるだろう、治安の不安定なインドに限った事ではなかろう、ただ完璧にクローズド過ぎて、取材の対象にはなりえない。
というわけで覚えているメモ、終わり。この本の続編があれば読みたいものだ。
ところで翻訳家は日本では「アナ・ウィンター」と紹介されている人物を「アナ・ウィントゥアー」とわざわざ書いていて(確か)
「冬」を意味する綴りではないのかな、と初めて気がついた。あとで調べておこう。
今調べた、「winter」「 wintour」だった、「ツアー」と同じ綴りなのね、なるほど。