ネット雑記。

「増田」で「正しすぎて辛い」というエントリを読んで私はなんてアホなエントリを、と呆れたんだが意外に同情的な人が多くて驚いた。
この人の「夫」は「大会社の次長」、「それに引き換え、私」は「零細のひら」と書いてあるんだよね。
おそらく夫は、妻の稼ぎはそれほど当てにしなくていいレベル、
「妻」である「私」が「働かなければいけないわけではない」のを最初に提示している、
たぶん、働くのはあくまでも妻自身の「プライド」のため、
自分は家庭以外のことが「できる!」人間であるのを証明するために働いているようなもんだと私は受け止めたんで、
なら「できる!」ってことを何が何でも証明するのが「スジ」ってもんじゃないのかな。
泣き言をはてななんかで書く暇があるんだったら、保育園のお迎えサービスでも手配したらどうなんだろう、
「可愛い、かわいそうな私」ってのを認めてもらっても、何の得にもならないんだが。
時々、はてなを読んで思うのは、いつでも泣けば、誰かが助けてくれた、言い訳を考えてくれた、
そういう「学習」しかしてきたことがないような人が多いんじゃないか、
転んだら誰かに起こしてもらうまで泣き続けることができるのは、何度も助けてもらえた人だけなんで
相手が夫であったとしても他人にほとんど期待のない私は本当に情知らずの人間なんだろう。
ネットの、特にはてなの、一定以上の人間の甘さを見ていると、本当に恵まれて育ってきたんだろうなあ、
サッチャー氏が死んで、それを喜ぶ人たちを評価しておくのが育ちのいいはてな人の良識のようだが、
私は育ちの悪い人間は這い上がってくるな、にしか見えなくてうんざりする。
独裁を暴走させたのはなんだったか、その反省なしに個人だけを叩くのには反吐が出る。
死者を叩くことでいきがっている、その幼さに、まだまだヨーロッパは独裁者を出現させる余地が透けて見える。
橋下氏の出自問題でもあらわにされた、叩いても当然のやつはいくらでも叩いていい、
「橋下もサッチャーも悪党だ!と叫ぶ優越心に在特会並のクズ意識が存在するのをどれほどの人間が認められるか。
ネット人の甘さを読んでいるとその甘さはとことん自分だけに向けられて、気に入らない他人には向けられない。
甘さの裏返しが死者を鞭打つ酷さでもある。
増田の話に戻せば、私の知り合いで趣味性が高いとしか見えない仕事を続けている人は恐ろしく努力家なんで、
こんなメソメソした人の夫が本当に「大会社」の次長であるのか、不思議でならない。
まだ、夫婦とも若いはずでしょ、子供が保育園だし。
この増田の気持ち悪さは発言小町の元トピ職人にでも鑑定してもらいたいような。
私がネットに感じる気持ち悪さはなんと言えばいいのか、増田なんか読んじゃいかんな、ってことだろう。