感想・「パレスチナ」その2

だらだら感想を続ける。
イスラム文化を知らないなあ、とあらためて。結局、極東の人間に入ってくるニュースは「自爆テロ」だけ、
その「テロ」に至るまでの事情がほとんど伝わってこない、故に「イスラム教徒とは、なんとなく危険」のイメージだけが
頭に残る、誰でも「自爆テロ」なんか、やりたいわけではない、そこまで追いつめられる事情をどのくらい世界は理解できているのか、
パレスチナ」の中で、ユダヤ人入植者たちがパレスチナの人々が住む通りにやってきて、まるで狩りをするかのごとく家を襲い壊しはじめ、
それに応戦して石を投げ返すと銃を撃ち始める事件があり、それが報道されたときは、完全に入植者たちの「正当防衛」であると、
記事というのは「書きよう」だ、もちろん、ジョー・サッコの書いたことが「正しい」かどうか、彼はパレスチナ側から書いているのだから
真実が本当にわかるわけではない。
それでも世界に発信されている「真実」がどちらにかたよっているか、資本主義国で、米国の属国である日本ではまちがいなく「イスラエル」よりだ、それを思いしらされる。
まちがった印象を発信する巧妙な情報とは、紛争地だけではなく、どこでも見られる現象であるのだけれど。
数か月前、「ヒトラー・最後の12日間」を見て、その元になった本を1冊読んでから、ナチスの恐怖についていろいろ考えさせられることがあって、
それがこの「パレスチナ」とつながるような、それは長くなるので、また別の機会に。
映画「ミュンヘン」で、わたしはミュンヘンオリンピックイスラエルの選手たちが多く命を落としたのをはじめて知って、
しかしそのときはなんとも思わなかったが今、考えてみれば、2重の意味でイスラエルは憎しみを募らせたのだろう、
かつて多くの同胞の命を奪った国で、「テロ」があっさりと行われた、「ミュンヘン」で語られたイスラエルの報復活動が凄惨になったのはしかたがなかったのかも、
などと、どちらを向いても、わたしはやはり憐れみを持つ、敗戦国に生まれた人間の幸福よ!と、そういう問題でもないか。
エーと、ほかに何があったかな?そうそう、パレスチナでの女性活動の中に「ヒシャーブ」を否定するものがあって、
これは、ちょっと前に話題になったフランスでの「スカーフ着用禁止」と重なって、どうかな?と、
イスラム文化圏の一般女性はそれほど「ヒシャーブ」着用に抵抗がないようで、
「権利確保のためにヒシャーブ否定」は活動として少々「失敗」かな、などと、よけいなことを思ったのでした。
考えることはいろいろあるのだけれど、今日はここまで。感想、と言うか、本をネタにした雑談、って感じだなあ、、(涙)