雑談。

なとろむ先生がナイチンゲールのことを二日続けて取り上げられている。
一日目の方にブクマしかけたけど、詳細を書いた本が手元にないんで削除。(で、今ここで書く)
ナイチンゲールは「イメージ」先行の人なのだよなあ。クリミア戦争で活躍したのは有名な話ではあるけれど、神々しいばかりの「博愛」の人ではなく、
「実務家」、「看護する人」の「地位」を向上させた人としても評価されている、彼女が産まれてきた時代を思えば、彼女の業績は驚異的、
ヴィクトリア朝時代の良家の女性が「看護」などと言う蔑まれた「職」につくということ(当時は女性が「職」を持つこと自体、蔑視されていた)は
今にたとえれば、なにになるだろう、「タブー中のタブー」、、、、ちょっと思いつかないな。
私がめずらしくこの人を知っているのはヴィクトリア朝時代の女性たちの一人として女性の権利拡張の一端をになった存在であると
位置づける人がいたので。時代を拓いた人であるのだよなあ、しかも、名前を残した。
かなり辛口の人間であったのは確か、そうでなければそれなりのことは成し遂げられない。
そんな人のことをホメ○パシーの人は取り上げるんだなあ、「いいイメージ」として利用出来るとふんだんだろうけど。
ただ、このようなことが「逆効果」であると理解できる人がホメオにはまる人の中にいるのかどうか、、
ナイチンゲールも!(はあと)」ってなっちゃうんじゃないかな。
ネットで時々、ブクマが面白いと思ってみていた人が大学の先生であるのを知る、ふーん、多いんだなあ、と、あらためて。
「ネットは匿名ではない」というのは長々書いていればよくわかること、
私ですら、はてな内やはてな外で現実に知っている人の日記を見つけているもの、匿名であってもわかるときはわかるしね。
「匿名とはだれが書いたのかを調べようとする人がおらず、情報の山に埋もれて人々の関心を呼ばないモノのことなんです」に納得。
隠すほどの棒きれではないけれど、森の中は安らぐ、と言うような。あと、私の場合は、自分の日常を書きたいから匿名の方が便利。
でも実名にした方がいいかな、と思うことはあるわ、子どものことまで無茶苦茶に書かれたときとかは。実名であれば、紛れもなく名誉毀損だものね。
くだらない思いこみをぶつけている、それに気がつく能力もない人間を相手にしても仕方がないし、
私は長く続けるつもりなので私の人生がこの先どうなっていくのか、子どもに向かってまで呪詛の言葉を投げつけた人が正しかったかどうか、
それで確かめられる。「記録」ってそういうものだ。
自分が「正しい」の確証はないけれど、それなりに自分を導く術はわきまえている、他人を簡単に侮る人にはない能力かもしれないな。
間違ったことをしないんじゃない、間違ったことをしても、そこから始めていけるだけの力が自分にはあると信じている、
それを「傲慢」と見る人はいるんだろう。でもそれは人生に向き合うやり方が違うだけのことだ。
「人を侮る」について考えたことは、忙しいので、また整理できたら書いておく。
地震や豪雨や。週末からはお出かけなので、その用意で今日もばたばた。