雑談。

英国での少女売春の話を読んだ。この手の話に似たようなものはもうすでに私(40)の子供時代にもあったんで
「日本でもこれから、、」の発想から、書き手の方はとても育ちのいい方なんだな、と思った。
何となくうらやましかったりして。
子供の教育に関して所々拾い読んで、「ゲームやお菓子禁止のご家庭の子供はどう育つ?」は
その質問をする人はきっとそんな家庭に育つ子供はろくなモンにならない、の答えが欲しかったんだろうかな、と
私も数年前はそうであって欲しい気もしてたんで、子供達にゲーム禁止はしなかった。
時期が来ると子供は飽きるんだよね、振り返ってみれば何もかも一瞬のことのようで、
最近の私は子供に「するな」をあんまり言わない。欲しい、と言うものは「いいよ、買ってあげる」とすぐ言う。
不思議なことにそれをし始めて子供はほとんどものを欲しがらなくなった。
欲しいものはいつでも買ってもらえることがわかると自分で本当に欲しいのかどうか考えるようになった。
私にはこれはちょっと意外だった、「子供が欲しがるものを際限なく与えると悪い子になります」みたいな、
そういう感覚を子供時代から持っていたから。でもそれが培ったものって結局欲しい「もの」への執着心だけのような。
「何でも買ってあげる」と言うと「あれも買って、これも買って」となるのかな?とちらっと思ったけど、そんなことはない。
それまである程度、規制をかけてきたせいもあるのかな?「急に物わかりよくなった母が怖い」的な。
育て方の一部分だけを取り上げて「どうなる」「こうなる」は決して言えない。他人の育て方は悪く見えるものよ、、、
とはいうものの、これはあまりに母親としてやりかたが悪すぎる、と思ってた人の子供がとうとうある日体を動かせなくなって
整形外科に連れて行ってもわからない、そこから小児精神科を紹介してもらって、
精神科の先生はたった数週間で原因が母親にあることを突き止めた。
「餅は餅屋だなー」と感心したが、それほどまでにやはり母親の存在は子供に大きいんだな、と考え込んでしまった。
母親から引き離されると子供は動けるようになったんで、すごいなあ、よかったね、と思ったものの、
少しづつでも悪い影響を与えている可能性は当然私にもある。それがいつ出るのか、いつも怖い。
子供から引き離された母親の人は今度は下の子供にとりついて離さなくなっていると聞いて
何かにしがみつかないと生きていけないんだな、と気の毒に思う。
下の子がこの先どうなるのか、もうわかってるような、わからないような、育て方を周りから否定されて意地になってしまう、
母親の気持ちも理解できないでもなくて、でもちょうど子供が上も下も同い年の私には何も言えない。言う機会もないが。
思うことは色々あっても言葉にするとひどく陳腐だ。
「餅は餅屋」から、ちらっと「うつ」の話になって、
「最近はいいお薬もあるようだから、私もうつっぽいと思ったらすぐ病院に行こうと思うんですよ」というと、
「そういう発想をするあなたみたいな人はね、決してうつになんてならないのよ」と笑われて、むっとした。
「馬鹿は風邪をひかない」みたいな、風邪をひかないんなら馬鹿でもいいんですけど、
実際は馬鹿だって風邪をひくわけで、その妙な信頼感が私を追い詰めるような、、気がする。
また「モヒカン」ネタで人が来ている。ほのめかしの好きな人だな、かのせさんは。
何か言いたいことがあれば、直接言いに来たら?コメント欄はあいていますよ。