雑記。

本当はパチもん数学屋のイロメガネでもイジリに行こうかと思ってたんだけど
そういうの書くのも体力いるんで小休止。最近、ホンマ根気がない。
あちこち見てたら「興味深い、は見下し目線か?」ってのがあって、そりゃあ、見下し目線じゃないの?と思う。
あんた、面と向かった相手に対して「あなたは興味深い人ですね」と言えるかね、
それ言って相手の反応は「?」となるのが関の山だろうし、もっと言えば「あなたは面白い人ね」も、
相当失礼だと相手は受け取るだろう。例えば親しい間柄で「おおっ、その発言は興味深ーい」とか
「お前は面白すぎる!」と言えば茶化しの入ったちょっとした注意を促していると感じるのが妥当だろうし、
直で言って相手を困惑させるような言葉はやはり見下し目線が入ってると考えるべきなんじゃないのかな。
そうじゃない、と言う人も多いだろうが、どうもそのテの主張をする人の日記を読ませてもらう限り
言語感覚が鈍感な気がして、まあ言わば言葉が死んでると言うか、なんと言うか、
私が生き生きしてると感じる人の言葉が伝わらないのはむべなるかな、とちらっと思う。
もっとも、向こうにとっても私の言葉は理解不能だろうから私のも「死んだ言葉」だと思うな。
幽霊と人間はそれぞれ相手が見えないって映画思い出すなあ、、
それから「私は義父の説教が好き」ってのも読ませてもらって、それは相手が「義父」だからだろうに、と、
利害関係のある相手からの説教なら聞けるんじゃないのかな?嫌われると困るからね。
私はそういうことを書いた覚えはないんで、まあ私の書き方が悪かったせいなんだろう。
見ず知らずのオヤジから「お前の教育が悪いから子供がこうだ」なんて頭ごなしに言われて
それまともに受け取ることはないよ、そういうのは相手にすんな、って意味なんだけどなあ。
ちらっと好きなものを仕事にする、云々に関する話しをタイトルだけ拾って、まあそれは子育てだってそういうわけで、
いくら子供が好きで産んだってやっぱりネをあげそうになるのは仕方がないことで、それを乗り越えて
なんとかやっていくのが人間で、その点、子育ては仕事と違ってやめてしまうことが出来ない、
それに仕事だってそれをやめたらたちまち食べていけなくなるわけで、やっぱりなんでも大変だって事で
私は理解しておきたい。なんか電波馬鹿が直リンクはって、「育てられないなら産むな」みたいな
くだらない説教書いてたのみたけど、おやおや、春先は本当、「神様」が多いね、ホッホー、
この馬鹿は自分が育児してる他人様に説教できると思うくらい御自分をエライと思ってるらしい。
そんなにえらいのに結婚も育児もしてないのは何故なんだろうね。不思議だなあ。
義父の話しに関連(?)して、今朝の新聞で北田暁大の書評「少女の社会史」の一文に
「女子に学歴獲得を志向させつつ、なおかつ夫を支え男児を産み育てる女子向けのコースに
進ませるための巧妙な仕掛け」とあって、私は義父の「男の子を産む治療をしてくれんか」を断ってしまったことに
今でも少し心が痛んでいるのを思い出す。本当はやった方がよかったんじゃなかったか、
それをあっさり断ってしまったにもかかわらず相変らずやさしい、義母が私のいたらなさに腹を立てた時でも
ひっそりとかばってくれた人のたった一つの頼みを受け入れなかった自分の狭量さを本当は後悔している。
私の義父は説教する人ではなくいっそその方がマシかなと思ったり。
でもその痛みを大切なものとして一生抱えていこうと思う。
北田暁大の「わらう(これが変換で出て来ん!)日本のナショナリズム」を今借りてるんで、読んだらまた書く。
苅部直の「丸山真男リベラリストの肖像」を読んでる、なんか丸山真男の青春時代の社会背景が
今と似通ってるようで、ちょっとこわい。
さて、選挙にでも行くかな。