ハンコのその後。

「すぐ!作れます!!」のハンコ屋に駆け込んで作ってもらったが

字体が特殊なので「すぐ!」ではなく数時間かかったのでした。

先ほど帰って行った婿殿はのんびり「めったにない苗字だねってみんなに言われます」

とマイペースであった。まあ、作ってなかったこっちが悪かったんだけどな。

シャチハタがないというのは娘に聞いていたのでそれは作っていたんだが、

その時に何故、作っておかなかったのか、親としての至らなさを反省。

シャチハタを作るのに10日ほどかかった。変わった苗字は大変。

そしてこの名字の人間はみんなご親戚なので

だれか犯罪をしたらご一族全員が迷惑するという、

やはり名前はありふれたものがよき、と思うおばはんであった。

ドンキのハンコ製造機は知らなかったんで今度行ってできるか確認する予定。

おもてなしに疲れた私は「やり切った、、、」感で

現在、真っ白な「あしたのジョー」なのでした。灰になってしまったわ、、おわり。

連休記録・途中経過。

おばはんの心の叫びだ、娘の結婚相手の名前は、出来るだけシンプルな、

そのご一族だけしか名乗っていないような由緒正しい珍しいお名前ではないほうが

銀行の名義変更の時に「しまった!ハンコもってくるの忘れた!」になった時、

ひぃいぃいぃいぃ、、、、エンドレス、にならないで済む、

何故、「佐藤」とか「藤原」とか、その辺ですぐ買える名前ではないのか、

あぁあぁあぁあぁ、、、と

混んだ銀行の窓口で日本のハンコ文化の廃止を切に望んだおばはんであった、、、

おわり。

最近の読書。

「ミステリを翻訳家で選ぶ!」がずっと当たりだったので、

フォン・シーラッハを翻訳した酒寄進一氏の「弁護士アイゼンベルグ」を読んだ。

感想は、「、、、、、、、」。シリーズものではあるがもう読むことはあるまい。

諸々つっこみどころ満載でなんともはや。テレビドラマシリーズを書いていた人なので

映像化を狙っているんだろう、主人公はやりて女性弁護士。

ドイツものだがアメリカっぽい。なんとなくあざとい。

酒寄氏に裏切られた気分の私は創元推理文庫の紹介にあった

「忘れ去られた花園」を選んで、この翻訳は青木純子氏、

多分この方の翻訳をどこかで読んだことがあるので「ミステリ地球紀行」は

ドイツからオーストラリアに乗り換えることにした。

紹介文で英国児童文学を踏まえて描かれているとあったので、

てっきりオムニバス形式の短編集かと思ったら分厚い上下巻。

しかしまさに「巻を置く能わず」であっという間に読めてしまった。

英国の児童文学で育ったならば大変面白く読める。

オーストラリア人が描く英国・ゴシックロマン、と言うわけで、

こういう「物語」のジャンルがまだあったのかー!とうならされた。

創元社ではあるものの、ミステリではない。

最近終わった朝ドラの「娘三代100年物語」よりも長い、

ほぼ「女系5世代」物語。主人公は祖母と孫娘ではあるものの、

それ以外の係累がまとわりつきながらミステリではない「物語」を構築する。

様々な児童文学を含む英国文学を網羅しているような、

こういう衒学的な物語は流行っているのかね?サラ・ウォーターズがそうだし。

題材からわかるように「秘密の花園」であったり、少々「ディケンズ」であったり、

ブロンテ姉妹の物語、私は兄が妹に抱いた異常な執着心は「嵐が丘」を思い出させ

寄る辺なき孤児の末路として「ジェーン・エア」風味でもあった。

しかし〇〇家はどうも女性ばかり生まれて、

かもたまに生まれた男性はふがいないという、やはりこれは「呪い」ですかね。

あとがきで翻訳者が突っ込みどころをあげていて、うむうむ、と私も思ってしまった。

しかし良く出来た娯楽本、「アイゼンベルグ」よりははるかにましであった。

原題は「THE FORGOTTEN GARDEN」ケイト・モートン作。

星は英国文学好きな人には星5つ。はずれのあとに当たりが出てよかった。おわり。

感覚の今昔。

「ながら族」世代である私は一人でいても「音」がなければ何もできない。

故にラジオだの配信だのをつけっぱなしにして、ベテランたちの声を常に聴いている。

しかしたまに何となく入ってくる情報がうっとうしくなって静寂に落ちることも。

ふと、こんなに簡単に上手に話す人の声が頻繁に聞けるようになる以前、

今以上に「音楽」はことのほか美しく聞こえたのではないか、

それがさほど上手でなくてもほかの整った音がなければ比べるもののない美しさで

人を圧倒したのではないかと思い付いた。

昔と今では同じものを聞いても感覚はかなり違う。

それとは別に、昭和10年前後に生まれた人と付き合っていると

不思議なことに「愛」とはどこかで教わらないと自然に発生するものではなさそうだ、

に気がついた。そもそも「愛」の定義もあいまいではあるけれど。

現在80代後半から90代の、特に「女性」の場合、10代ぐらいで親の決めた相手と

結婚していったため、その相手がどんな人であろうが「生活」をしていくために

「協調性」は子供時代から大いに叩き込まれたことだろうが、

男女の愛含め、自分の子供に対して持つはずの「愛情」もさほど強くはなく、

むしろ「愛情」と言うより「執着心」を持たずに済むように訓練されていた気がする。

戦前、人は簡単に死に、特に子供などはあっけなく死んでいくことが多く、

何人も子供を産んだ90代の女性で子供を一人も失う経験をしなかった人は稀に思う。

喪失の悲しみにいつまでもとらわれないために人に執着しない、個を持たない、

集団に常に属し、集団で動く、私は女性としか付き合ってないのでよくわからないが

同じ年代の男性も同傾向はあるのか、少々謎だったりする。

話を戻して「愛」とは「こういうものだ!」の刷り込みがなければ

なかなか理解できないものではないか、

私世代などはかなり「恋愛至上主義!」で思春期に刷り込みを入れられているので

「恋愛はこうあるべき!」と迷走する青春時代を送らざるをえず、

それが良いか悪いかは、私には判断しかねるが、

かつて尊敬していた教師が出征する前、初めて会った相手と結婚し、

戦後復員した後もずっとその「妻」と連れ添ったのは

それを聞いた中学生時代、私含む同級生は「そんなことってできるものか?」と

衝撃を受けたものだったが、今はそれが出来た「理由」が理解できる気がする。

感覚とは今と昔とでは大いに違う。

時代と言うか、環境と言うか、それに大いに左右されてしまう。

人間の感覚とは実は当てにならないものであると考えている。おわり。

ニュースいろいろ。

観光船沈没の話には涙。

しかし、おそらく「ご遺体回収」であるにもかかわらず医師が「死亡」を宣告するまで

あいまいな報道をするのはいい加減にやめてはいかがかと思う。

絶対に誰が見ても死んでいるのに「心肺停止状態」とか。

恐ろしく馬鹿馬鹿しい「ポリティカルコレクトネス」か「コンプライアンス」か。

もし関係者であれば一縷の望みを持ってより深い悲しみに突き落とされるようで残酷。

せめて病院について宣告されるまで報道を控える道義心はもてないものか。

ウクライナツィッター昭和天皇をナチズムの一員として挙げたようで、

まあ、歴史的に見ればそうだわな。今は消しているようだけど。

多少は援助している国に政治的「配慮」をしても悪くないような。

そういう「歴史的に正しい」を言えば、旧ソビエト連邦からの独立も

どんなつっこみが入るものか。

フィンランドスウェーデンNATO加盟は本当に実現するのか。

今回の戦争で北欧のロシアへの懸念は恐怖であるとしみじみ理解した。

気鬱になりたければ今はニュースを見るに限るので、最近は配信ばかりつけている。

大昔のヒット作「キューティ・ブロンド」を流していると

ハーバードロースクールの意識高い学生がいかに自分が出来る人間か、

「〇〇の運営を組織した!」「〇〇の運動を立ち上げた!」と披露して

なんとまあ、ネットはこの20年前の映画みたいなことをアホみたいにやるか、

これを就活でやって成功する学生は親のコネがよほど強力であるとしか思えず

真に受けて大失敗する学生がいないことを祈るばかり。日本でやったら馬鹿よ。

ブックオフのたたき売りで自己啓発系本が多いと知って、なるほど、と。

ショーもない「ライフハック!」がネットで山ほど上がって

「続きはNOTEでね!」とやるのは小銭が多少でも稼げるからか。

私はどこの誰とも知れぬ阿呆が書いた「NOTE」がまともな学術書並みの値段で

売られているのを知って腰を抜かした。まことにこの世は不可思議。おわり。

デマを流す連中がうらやましい、、、

その「厚顔無恥」さが。

外資金融」だの「千代田区」だののタイトルのアカウントでいい加減なデマで

煽りまくるくせに、なぜか「オー〇ンレター」は激しく追及する、

その2枚舌と言おうか、「俺だけ!ずるしてもいいのは俺だけっ!!」の

根拠なき自信はそれなりに裕福なご家庭で甘やかされて育ったためなんだろう、

一般庶民はそこまでの厚かましさは持ち合わせていない貧しさよ、、

と、ある種の元外資コンサルタント、なぜか現在は転職アドバイザーだのに

華麗なる転身を遂げている人を見ると思う。

世の中税金を払わないために儲けのない事業を起こす人間もいるものよ、、、

話を戻してデマを流す側はいつも自分たちだけが真実を知っているとうそぶき

ひょっとしてわざと突っ込みどころ満載の話をひけらかしてるんじゃなかろうか、

そこを私みたいな我慢の足らない人間がついつっこんでしまうのを待って

多少の自分の知らない真実を拾い上げていくのか、

またつっこまれなければ山ほどいる阿呆にデマを浸透させることもできる、

デマを流すとは「やったもん勝ち」である事実をはてなを見ているとしみじみ思う。

まあ、私は流したいデマはないんでどうでも良いが、

問題はそういうことが「出来る」強心臓で、

そこまで厚かましければ人生、楽だろうな、育ちが良いって素敵なことね、なんて

思うのでした。

外資金融を名乗るワーママアカウントがいちいち子育て施策に文句を言い、

煽っているのを見ると、外資金融ってこんなにあほな人間しかいないのか、

なのに外資金融に勤めている人間が全員高給取りか、と誤解されそうで、

このアカウントを操作する人間は実はよほど外資金融に恨みがあるんじゃないかと

常に疑ってしまうのでした。

見るたび「エミリー、パリに行く」のリリー・コリンズが気の毒になるアカウントに

脱力するおばはんであった。厚顔無恥が人生最強のアイテムだな。おわり。