半年ほど前に上の娘が出席した、
何年後かには国を動かすようないわゆる「パワーカップル」の結婚式の写真に
ちょっと変わった服の同級生が写っていて
その服はエスニックな、たぶん東欧の民族衣装を模したデザインで
それでいながら洗練されたものであるのは写真からもはっきりわかって
娘に尋ねると、「それ、友達のおばあちゃんの服なんだって」と、
どうやらおじい様が外交官だったころに奥様であるおばあ様があつらえた
「オートクチュール」らしく、それはそれは繊細な作りの見事なものだったらしい。
写真からみてもわかる、この高級感、なんと芸術品は時を越えることよ、
と感心した一方で、孫が友達の結婚式に着るに耐えるような服を
おそらくは半世紀以上前にヨーロッパであつらえたおばあさまをお持ちの
お嬢様とは、いやはや、すまねえ、底辺母ちゃんで、と恥じ入る次第。
それはともかく、思うに服の寿命は近年とみに短くなったな、などと、
まあ、一般庶民が清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったものでも
実のところ耐用年数は限られている、10年もてばよいほうじゃないか。
これは日ごろユニクロ、無印にしかお世話になっていないせいだけではなく、
時を越える素材が恐ろしく稀少となって、もう手に入らない、
カシミヤであれ、絹であれ、昔とは大分「モノ」が違うらしい。
今、たとえばパリのオートクチュールをあつらえたとして、
それが半世紀持つかどうか、それはないんじゃないか、と言う気がするのは、
単に私が貧しくて物を知らないだけか。
とか言いながら、私がまだほうがいに高くなる前に手に入れたケリーバッグは
確かに20年の時を越えても、いまだ美しかったりする。
たぶん、これはおそらく半世紀越えても美しいままと言う気がする。
でも同じ時期に買ったやはり美しかった某ブランドのスカートは
素材の古さが目立って、手放してしまった。
テキスタイルの流行り廃れは情け容赦ない。
何が時を越えるのか、この年になってもさっぱり判断がつかない。
これが貧しく育った証明と言うことかしら、とほほ、と
何故こんなことを思いついたかは、書かないでおこう。
とりあえず、メモ。