昨日はてなでブログを持っている伊藤塾講師のツィッターで萌え絵規制の話題が出て
私はいつも「天皇陛下が外国の賓客をお迎えする部屋でも
巨乳、股間のラインが透けてる「お顔はほぼ幼稚園児」のアニメ絵があっても
「表現の自由!」で世界的に突っぱねられるものか」と思う。
或いは保育園の壁に巨乳でほぼ半裸の女の子が描かれてるとかね。
多分、これは「ふさわしくない!」の一言で「なし」なんだろうが、
「ふさわしくない」と「不快」の違いはどこにあるんだろう。
まあ、少なくとも保育所の壁に巨乳で半裸の女の子の絵が描かれていたら
子供を強いて通わせる親はいないだろうからしないってだけの話だろうが、
では、何故、そういう保育園だったら親は警戒するのか、
やはり「ふさわしくない」が暗黙の了解として存在し、
それと「不快」との間にはどの程度の差があるのか、
このあたりのことを語っているのを見かけることは少ない。
私はそれを必要と考えられる場面で
半裸の萌え絵がいくらあってもかまわない派であるが、
先日の「温泉娘」の設定は読んでいる限りもうちょっと配慮をしても良かろうに、
突っ込みが入るのは当然だと考える。なーんも考えないのも一種の暴力。
そしてなーんも考えてない、ただ単にレッテル張りをして自分を高めているつもりの
阿呆から「見えない敵と戦う人」なんてタグをブコメにつけられて、あはは。
こういう人間がいるからある程度の線引きは必要だとしみじみ思わされる。
何を、どこまでが「自由」であるのかは議論しつくさなければいけないのに、
そこをあいまいにしてとにかく「とんでもフェミがうるせー」にはもうあきた。
私の子供時代は未成年の子供たちが通う学校のほぼ正門前に「日活ロマンポルノ」の
裸の女優のポスターが私の高校生時代くらいまで堂々と張られていて
思春期などは気まずい思いをしていたものの、それが消えた代わりに、
現在では、あまり良いとは思えない場所でも平気で巨乳の萌え絵が飾られて
それを「不愉快に思うのは表現に自由規制ダーッ!」とやられているので
時代は変わっても女性への扱いは変わらないものだとしみじみ。
他人が知らずに目にして不快に思うものを「表現の自由」で突っぱねるのは
人がどう感じるか、感覚の規制、あるいは「押しつけ」にも見える。
「どこでも、なんにでも、エロ萌え絵」に
もうちょっと遠慮しろ、との提言は無視されるべきかどうか、
「見えない敵と戦う」が実は侮蔑のタグではないのが、
つけた本人に理解できるレベルではなさそうだ、と思ったのでした。
語るべき言葉を何も持ってないくせに出来合いのタグで何か言った気になる、
こういう人間は「見えている敵!」と戦っているのか、私は戦う気はないけどな。
伊藤塾のパンフレットに股間が透けたミニスカート巨乳女子の萌え絵は
使われるのかな、或いは山ほどある書籍に。
昔「萌え単」というものがあって、
そこまでは私も笑って許せるレベルだったんで別に良いけどね。
私は天皇陛下が世界の賓客向けに「これぞジャパン、アニメの究極!」と
巨乳・半裸少女絵が謁見室に飾られるまでになれば拍手を喝采しよう。
そこまで行くと多分もう「萌え」濃度は低くなるしな。
ま、そういうことよ。