どこでも巨乳が表現の自由らしいね。

先日、マイダーリンが最近お気に入りのドラマ「同期の桜」を見ていると、

橋本愛ちゃん扮するそつなく仕事をこなす広報課のOLが

取引先の重役からセクハラを受けていて、

そのやり口のいやらしさに、若かりしころから今に至るまで

「セクハラ」とは無縁のマイダーリンが悲鳴を上げる。

「本当にこんなことってあるの?」と

マイダーリンはそれはそれは心が清らかなので

自分が思いつきもしないことは存在しないと信じている。

しかし心根のどす黒い妻である私は「あるよ、大昔から今に至るまで」と

無情に言い放ってマイダーリンの気を遠くさせる。

ドラマの中でいやらしいがあるあるだよな、と思ったのが

クソ忌々しいセクハラ男が誘ってきた食事に橋本愛ちゃんが

セクハラを避けるために「同期」である主人公の桜ちゃんを連れてきたとき、

セクハラ男が相手が嫌がっているのにかけらほども気がつかず

「彼女は自分を好きに違いない、だから邪魔しないで」と、桜ちゃんに言い放つシーンで

こうも都合よく脳内で変換できているのか、と感心した。

ドラマでは真実を告げることに躊躇ない桜ちゃんが

「そんなことは一切ない、セクハラはやめてください」と見事に言ってのけて

結果、大変なことになるわけだが、

私がもうひとつ感心したのが、

セクハラ野郎がセクハラを止められたことへの報復にためらいがない

つまり、何が何でも自分の意向を押し通すつもりだった、

どれほど相手が嫌がったとしても、それは全くかまわない、

最も大切なのは自分のセックスのみと言う、

いやー、これは今はてなで話題のどこででも巨乳はオッケー、

表現の自由だから!と言い募ってる連中に似ているな、

いまどき「表現の自由」と言う棍棒を振りかざされたらひとたまりもありませんわな。

大きな契約の発注元の重役の立場を振りかざして、

夜の世界の女の子でもない、

ただの女子会社員を自分のセックスの相手にしようとする、あの意地の悪さ、

似てるわぁ、巨乳が好きでたまらない、どこでもいつでもなんにでも巨乳、

女の子が気まずく感じるのは「俺のセックスの邪魔をするのか!」の代わりに

表現の自由を邪魔するフェミのお気持ち!」の言葉をふりかざす、

程度は違っても、私が最も気味が悪く思うのは

無敵の棍棒を容赦なく振りかざすことに明らかに喜びを感じている、

それは他人が嫌がることをやる、そのこと自体を楽しんでいる異常さ、

いやー、他人を気まずくさせるのが楽しくてならない、って人間、多いですな、

セクハラはこの先、無くならないのかも知れない、

若い女の子も献血ルームには行くこともある、

それを考慮していない点が私には薄気味悪い。

「何でこんな爆乳がこんなところに?」と私なら違和感ぐらいは覚えるだろうな。

まあ、若い男の子に出来るだけ献血して欲しい、はわかるけど。

それであのイラストで若い男子の献血は増えたのかね?

私は案外いまどきの若い男子は

巨乳がどこにあっても全然かまわないオッサン連中より

もっと繊細な気がするんで、さほども増えなかった気もするけどな。

男の献血はちんちんから取るのか?

無駄に股間の血を集めても意味なかろうに、と私は思ったのでした。

世の中、巨乳はどこでも所かまわずで良いと言うことらしいので、

皇居で海外の賓客をお迎えする部屋でも巨乳のアニメ絵を描いたらよいと思う。

もちろん、表現の自由なんで、賛成多数でしょうな。

それからどこでも巨乳オッケーの人はどうやら、巨乳にしか興味がないようなんで

本来人の顔があるところにも巨乳を描いたらいかがか、

なんだったら、全身に巨乳がたくさん生えてるみたいなイラストがあれば

大喜びじゃないか、なんて

「巨乳はどこでも正義!」な人にお勧めしたいんでした。

ま、変態も極めればアートに行き着くでしょうな。

マイダーリンは、私と違って心根の優しい男性なので

専業主婦である私に一度たりとも「誰に食わせてもらってる!」なんて

いったこともなければ、考え付きもしない人間なんで、

振るえる力を振るうことをしないとは、まことに立派だと思ったのでした。

どこでも巨乳、ってある意味セクハラ、だと私は思うけどな。

まあ、表現の自由、の棍棒をもってしたら万能ですわな。

「同期の桜」ちゃんは、セクハラ野郎の意向に沿って左遷の憂き目に遭うのですが、

世の中、やはりセクハラに対抗するのは無駄だってことのようですな。

いやはや、悲しい世界よ。