雑談。

「ママ活」なる言葉があるのを昨日初めて知ったが、応募してきたのは警察官だけで、まあ、そんなところだろうな。
ツィッターに「ママ活」なるアカウントがあるようだが、
そこに応募した馬鹿の元に現われるのは警察官ならともかく「はんしゃ」の怖いお兄さんだったりして。
「オウ兄ちゃん、金にこまっとるんか、ええ仕事あるで」と「オレオレ詐欺」の受け子させられたりして。
そこについたブコメが何故か「男女差別ぅー!」って、加害者が存在しなさそうなんでなあ、
そこも差別といえば差別か、ほんまにいつまでやってんだか。
今日のホットエントリではフェミ関係でツィッターアカウントの訃報らしきものがあって、
そこまで追い込んだんならもう十分だろ、と私は思うが、それでもブコメは「追及の手は緩めない!」と
何と戦っているんだか、ネットで「死体蹴り」の言葉を聞くが、これがそうなんだろう。
私は「そのアカウントは利用停止をします」で十分なんじゃないか、出来ることならそこまでであってほしい、
本当に「人死に」があって欲しくない、と心から願う。それが一般的な人間の感覚ではないのかな。
たぶん「死んだフリなんかしやがって!」と吹き上がってる人間は、本当に亡くなっていたとしても
「死ねば済むわけじゃない!」と言い出しそうで、人の命よりも重いものって抱き枕だったかー!と感慨深い。
いや、いいんじゃない?表現の自由なんでしょ、俺のチ○コが世界より大事なんでしょ、それは良くわかったよ、
ってのが、先日無意味に炎上したわたしからの答えだなあ。
私は人が何を好もうが、不愉快に思おうが、それは個人の自由で、萌え絵・命も自由、萌え絵が嫌いも自由、
そのどちらを矯正するのも間違っていると考えている。
ただ、この件に関してあまりにも「萌え絵は嫌いだ」の意見を圧殺する力が強烈で、
いつの間にか「フェミは学問?社会運動?」なんて的を微妙にはずしたたたきにまで発展しているのが異常だと、
その一点のみの主張を見れば、一見正しいように見えても、根本的な
どちら側であれ「人の好みを矯正する権利は誰にもない」からはかけ離れている。
そこはものすごく大事なところでしょう、表現の自由と同じく私は保障すべきものに思うがな。
とかくこの点で何かを発言するとわらわら、自分でブログも日記も書いてない連中が、居丈高によりつくので、
阿呆をカウントするには便利だな、と思う。
モニター越しに50過ぎのババアが「フフン」とか笑ってるんだよ、君ら、それ、ちょっと薄気味悪くないか?
私は自分でやっててたいがいにせんとな、と思うな、でも、つい笑ってしまうんだよなあ。
もうそのへんにしとけや、と喧嘩の仲裁に入る人間が私の子供時代にいて、たいていけんかがそれで収まっていたのは、
喧嘩をやってる人間もそこそこ成熟した大人だったってことかもしれないなあ。
この件ではいろいろ気の毒な人が多すぎる気がする。おわり。