いよいよこの過疎地でもコロナ患者が増えて容量の少ない医療現場が破綻寸前で
やばい、と思わせるのは私のような微妙なおばはん世代がランチにもいかなくなる、
(とか言いながら有名ランチどころは通りかかると11時過ぎに車がいっぱい)
要するに、死ぬか、死なないかのボーダーラインの年齢は出かけるのを控える、
私世代はまだ親が生きているし、子供の結婚、出産につきあわなければいけないので
ここでうっかっりコロナでどうにかなると死んでも死にきれない人間、多数。
というわけでアテクシも相変わらず逼塞の日々を送っている。
心の慰めは配信サービスと昔のミステリを読むことくらいよ、、、(遠い目)
昨年の今頃は何をしているかこの日記を紐解くと、使い捨てマスクを洗ったり、
転売業者にきぃきぃ言ってたりして、ま、1年たっても成長ないな。
(マスクはもう洗ってないが)
逼塞で困るのは明らかに太ったことと、なんとなく足が弱っている気がする、
車で動く人間なのでウォーキングは主にショッピングセンターだとやはりよくない。
こうして私はご近所をぶらつく得体のしれない年寄りと化すわけだな。
引きこもっての利点は家や生活のあれこれを見直すきっかけになったことか。
なんとなくやり過ごしてためにためたことにしぶしぶ着手「しようと」している。
(つまり、まだやってない)とりあえず意識したんでやることになるだろう、
などと、このままコロナがなし崩しに終わって放置できないかな、なんて考える
面倒くさがりのおばはんにいつか「天誅!」が下りそうな気もするのでやるか。
放置してうっかり死んだら、娘たちに迷惑がかかるだろう。
コロナの一番の功は、たぶん「いつか必ず死ぬ自分」を予測するようになったこと。
ためにためた物事は、ちょっとづつきり崩してやるしかないので根気よくやろう、
と、おばはんは1年先の自分に日記を残しておくのであった。
1年後にはワクチン接種できた!になってるとよいな、おわり。