「子育て、あるある」の投書を書いた親は毒親だ!と吹き上がるはてなの人間が多くていまさらながら世間の
「俺たちが認める子育て以外、許さん!」圧力が強いのに驚く。
これ、西原理恵子さんの「毎日かあさん」へのオマージュみたいなもんでしょ、
「卒母のススメ」のタイトルからも、先日「卒母宣言」をして「毎日かあさん」の連載を終了した西原さんを意識している。
「毎日新聞」だしね。
それを考えずに「けしからん!」と憤るはてなのブクマコメントが多いのにはてな利用者の精神病者率を意識するわ。
かろうじて、星の多いコメントが「大丈夫か、お前ら」なのが救いだが。
私は前々から非常に不思議なのはネットで「毒親に育てられた!宣言」をする人は、何を求めているか、と言うことで、
今のところ、私自身も経験してきたように、自分の気に入らない人間が子供を持っていると
「毒親だ、俺にはわかる!」と、会ったこともない人間の全てを理解するがごとくの超能力者宣言しかしてない。
毒親に育てられると、会ったこともない人の書いた内容で全てのその人生がわかってしまうとは
さぞかし、人生は生きやすかろう。直接会った人のことなら、瞬時にその過去まで見通せそうだしね。
その「超能力」が親に植え付けられたものなら、その特殊技能を与えてくれた親に感謝すれば、と思うなあ。
なんて、くだらない皮肉はともかく、「毒親育ち」がまるで選民であるかごとくにひけらかし、
他人の子育てを攻撃しても良い根拠になるのか、
君の「敵」は君を育てた「親」だけなんだから、どうしても許せないなら、直接対決して決着つけたらどうか?と思う。
私が今まで見た限り、ネットにそれをしている人間はいないのだよなあ。
たぶん、ネットで「毒親」宣言している人間は経済的にその親に依存している人が多いんだろう。
金は欲しい、でも親の言うことは聞きたくない、こんな状態に陥らせたのは親の育て方が悪いせいだ、
生き辛いのは親の育て方が悪かったせい、ってことか。出来の悪い子供にとってこんな都合の良い解釈はなかなかないな。
私は毒親宣言をして他人を攻撃している人の親にしみじみ同情する。
「毒親がぁ〜ぎいぇえ〜」と吹き上がっているのをみると私が子供時代、ドリフのコントに目くじら立ててた保護者を思い出す。
あの精神性に非常に「毒親に違いない!許さん!」はよく似ている気がするな。
高嶋ちさ子さんの「ゲーム機バキバキ」事件のときでもそうだが、
ああいうのは、親をやってると学年に一人くらいは「やっちまった」親がいる「あるある」で、
確かに多くはないが、それだけで子育ての全否定をするとは、そんなに子育ては「失敗が許されないもの!」なのか、
親をやってると、特に人間をやってると、失敗なんてつきもので、それを何度もこえながら人間は生きて行く。
それがなぜ「親」であるというだけで、「一度も間違ったことを許さない!」になるのか、
なんと子育てに「不寛容」な社会に私たちは生きていることか、
故にあの投書は真実をついているのだよな、
単なる子育ての「あるある」愚痴を「これは毒親だー!」と吹き上がる人間の多い場所で
「子育てしろ」とはなかなかいえないのは事実だ。
でも、やはりやったほうが良いと私は思うけどね、面白いので。
「毒親がぁー!」といいがちな人は、私の体感では物事を面白がる能力がやや弱い気がしている。
親に欠落したものを子どもが補う、それが成長に思うが、それが出来ない人ほど、親を憎んでいるんじゃないかな。
親にないものは子供には与えられない、それが許せない人間は永遠に子供のよう、「ブリキの太鼓」の化け物のようだ。