母国語以外の言語を習っておいてよかったと思うことがよくある。
それでも長く付き合っているのが「英語」だけではあるのだけれど。
失われたことが惜しまれる彼女を言葉で表すとしたら、よく知りもしないので、日本語で表すと重く、感情過多となる。
それでも残しておきたい彼女の印象は
「precious,perfect,fragile」、かと。
英語でしか表せない意味と言うのはあるのだな。
その言葉が作り上げた文化も含めてそしてその言葉に至るまでの歴史も含めて美しい意味がある。
文学的に頭韻を踏みたかったけれど、実のところ最後に残した印象が「fragile」でしかない。
繊細なガラス細工が粉々に砕け落ちて行くのを見たようだ。とても悲しかった。
それはともかく、「40歳」の節目をどう迎えたかを書き残しているのを読んで、自分が40になったとき何をしていたか、
私は来年ちょうど50、つまり半世紀生きたことになるのでその10年前、何を考えていたか、思い出すと、
なんと、40になったとき「おお、来年は「バカボンのパパ」と同じ年になる!」などと喜んでいた。
そしてその1年後「41歳のハルだから〜」なんてやっとる、われながら、情けないことこの上ない。
また既にこのネット馬鹿日記を書いていたりするのだよね、とほほ。
とか書きながら、ネットで日記を書き続けるのを後悔したことは一度もない、この先もないだろう。
いろんなしょうもない日常をだらだら記録しておくことは思いのほか私の役には立っている。
私はネットでつながることを求めていない、この先も求めることはないだろう、だから気楽に書き続けていられる。
やはり、私はずっと書こうと思う。
ところで、本物のライターの死をいたむ同じライター仲間の文章に二日たったいまだ「千」のブクマが集まらないとは、
普段異常な速さで異常な数のつくさほどの価値も見出せないエントリには、かなり「やらせ」が入ってるな、と思う私。
私の感覚が古いのかもしれないと思いつつ、はてなは信用できない存在となろうとしているのを、誰がどこまでいたむやら。
少なくとも、私は残念に思う。