先日の電通過労死事件に関連して元電通マンが、要約すれば
「しもじものものどもが、俺様たち「ゲージつか」(くりえいてぃぶ?)が作ったものを文句を言わずありがたく受け取ってりゃいいんだよ!」
てなみもふたもない意見を実にソフトな口調で上手にお書きあそばせているのを拝見し、
ハテ、この「ショータ」とか言う御仁は10年ほど前に説得力はあるけれど、どこか胡散臭い屁理屈を某コメント欄でも
ひねくりまわしていた「しょうた」とおっしゃるお方じゃなかったか、同じお名前に思えるけれど、気のせいかしら。
この柔らかな説得力と言うか、一見とてもいいことを言ってる風なんだけど、なんだか不愉快な、
頭のよさが誠実さと結びつくことはまれであると、ネットを読んでいるとしみじみ感じるなあ。
大衆を操る側にいるらしい人間の性格の悪さは人死にまで利用して自分たちを有利にしようとする。
このたび電通過労死事件で元電通だとか、電通にお友達がいっぱいいる、だとかの記事をざっと読んだが、
どれもこれもアクセス稼ぎがミエミエで、じゃあ、君ら、そんなに電通を知ってるんだったら、何で今まで何も言わなかったのか、
お友達が電通にいっぱいいるなら、新入社員が会社の寮で飛び降りしたとか、すぐ入ってきそうな話だが、
なくなって1年近くたってやっと公になったものをここぞとばかりにしたり顔でわかったような意見を書いて、
本当に「死に損」とはこのことだ、その死が見事なまでに「自称関係者」の都合のいい消費物になっている。
屁理屈元電通マンの記事の、徹底して他人を見下していながら、ぜんぜん自分を悪く思わせないように書ける
「自己肯定感」に満ち溢れた幸福な人間の無駄な力量は認めるものの、このパターン化された書き方にはうんざりさせられる。
最後に自分の「ちょっといい話」をつけたりして、
お前がどんなに先輩に恵まれようがそんなことはどうでもいいわ、ここで、私ら下々の低脳は「むね・きゅん」するのが「正解」っすか?
そういうのでまだ人がだませると思うその古い感覚、棄てろ、
実は電通をやめたんじゃなく、そのあまりのあざといパターンでクビになったんじゃないか、と考える私。
なくなった彼女に勝手に奇妙な理解と共感を示しても、彼女と君たちは違う。君らはなんだかんだであつかましくのうのうと生きてる。
そして人の死をためらいなく自分に利する方向に変える人間は彼女と違って感性が低劣だから何があっても決して死なない。
だから君らには永遠に彼女のことはわからない。
私にもわからない。ただ死んではいけない、と思うだけ。ああ、いやだわ、この周辺。まったくえげつない。