今年のネットの目標は、「読んだ本は出来るだけ記録に残す」ということで。
まずは年末に読み終えた、私とは相性の悪い酒井順子の「オリーブの罠」
酒井順子氏が雑誌「オリーブ」に現役女子高生として書いていた時期に私は「オリーブ少女」だったので一度読んでみたいと思っていた。
「オリーブ」が「ポパイ」の妹雑誌として「アメリカン!」を意識したつくりだったなんて、知らなかったわ、、
私の時期は「オリーブと言えばリセエンヌ」だったので。
その「リセエンヌ」時期にどっぷり「オリーブ」の洗礼を受けていたので酒井氏の「オリーブ」歴史は楽しく読めた。
特に「田舎の公立共学高女子」だった私には「渋谷にいるかっこいい男子」特集など、何のためにやってるのかさっぱりわからなかったが
酒井氏のような「都内の私立女子高女子」にはもっとも「オリーブ」らしい記事だったらしいので、なるほど、東京の人にとってはそういう位置か、
おそらくは「タウン雑誌の若い版」だったんだろう、そういうのは私の地元にもあった。
「街中で見かけた素敵男子・女子スナップ」に「高校生」として紹介されることは「ステイタス」だったわ、そういうノリか。
読んでいてわかったのは、どの時期に読んでいたか、読んでいた当時どういう立場だったか、で雑誌の捕らえ方が違う、と言うことだった。
私は一般商業誌のひとつとして捉えていたが、酒井氏のような東京在住者にとってはもっと身近な「バイブル」と言っていい存在だったのかも。
私は中学3年くらいから高校時代はみっちり「オリーブ」にはまっていたが、大学に入る前後、
「オリーブ」の表紙が外国人の女の子のヌードに一度だけなって、そのあたりから「オリーブ」世界熱が冷めた。
なんとなく「かわいそう」な気がしたのだよね、
その当時は明確に言葉に出来なかったが、いくら「自由!」を叫ぶためとはいえ、
「きれいなヌード」であっても衆人環視の前で未成年の女の子をヌードにするのはやりすぎに感じた。
「自由」って裸になることか?と今でも思うわ。
それはともかく、この本は半ばまでは納得しながら読めるものの、終盤「何が「オリーブの罠」だったか」になると、どうも私は首をかしげずにはいられなくなる。
「「オリーブ」の洗礼を受けたから「幸せな結婚」から遠ざかった」とは、いつもの酒井順子節だなあ、
そういう書き方をするほうがこの手の本を読む層に「受ける」と思ってる。
「赤文字雑誌を素直に読んでた人のほうが少なくとも結婚できてる!」らしいが、「赤文字雑誌」を読む人間のほうが多いので、結婚した人数が多いのは当たり前だが、
かつての「オリーブ」少女たちが結婚した数とパーセンテージで出せばさほど変わらない数字なんじゃないかな。
私が酒井順子をあまり評価しないのは、結局、いつもどこかでピンポイント層の「ウケ」を狙う部分で、
「かわいそうな清らかな私たち」擬態をしながら強烈な女性臭のする媚を売る、その「女子力」濃度は専業主婦の私なんかより遥かに高い。
いや、赤文字雑誌を読んでいた女の子たちがみんな酒井氏がいうような「上手にやる女の子たち」ではないんで。
その点では、かつて「真性オリーブ少女」だった私が保証するわ、「赤文字雑誌女子」のくくりは「オリーブ女子」くくりよりも乱暴だ。
結論部分を除けば、かつて雑誌「オリーブ」の世界を愛した中高年私世代には楽しく読める本。
酒井氏の「ユーミン」本も読んでみようと思った。
ちなみに私は酒井氏の本で読んだのは「少子」と「負け犬の遠吠え」、この日記にも感想が書いてあるかな。