新聞・メモ

朝日新聞に「「無縁社会」から「絆」の移り気」と題して宗教学者山折哲雄氏の談話が載っている。
「去年の今ごろですよね。しきりに「無縁社会」と騒いでいたのは。震災が起きて、とんと聞かなくなったなと思っていたら、今度は「絆」でしょう。
メディアが発信する言葉の変わりように、私はどこか違和感を覚えます」と、冒頭から至極もっともな話をされている。
続いて
「これもメディアが中心になり、東日本大震災直後に「被災しても無口で忍耐強い東北人」とくり返していました。
東北への偏見や蔑視が入り交じっているな、と私は感じました。言ってる側は意識していなかったでしょうが。
阪神大震災の時にも被災した人たちは冷静で、黙々と耐えていたのです。
同じ行動をとったにもかかわらず神戸の人たちに向かってそうは言わなかった」
記事はこのあとも続き、非常時における宗教のあり方について述べられているのだけれど、
わたしがもっとも心に残ったのは、この「地方」に対する、ある種の「優越性」「差別心」が時折むき出しにされる事実の指摘だ。
話がずいぶん低レベルになるが、夏頃、島田紳助がいきなり引退したときに、
ネットでは関西人差別をむき出しにした嘲り記事が多くのブクマを集めているのを見た。
その記事は紳助が身にまとっていた関西人の愚かしいイメージを巧に揶揄し、仕上げに「空耳だったかな」ととぼける。
書き手は「少数者差別は許されない!」と大学で講義しているらしい人で、
なるほど、多数いる関西人は差別してもかまわない、と言うことか、と妙に納得させられた。
水に落ちた犬を叩くのはさぞかし楽しかろう、おまけにヤクザと交流があったような人間だ、叩くのは当然の「正義」だ、
そして正義は「差別心」をも覆い隠す、「地方」への偏見を増長させながら。
もっとも、かの記事を書かれた人は「名古屋」という特殊な地方にお住まいらしい。
名古屋という地方イメージも関西とそれほど変わりがない気がするが、無学な私でも、
名古屋に住む人すべてがこれほど偏見に満ちているとは思わない、それが私の「差別される地方人」としての「矜持」でもある。
「地方」へのむき出しの差別は、先日、橋下大阪市長の誕生の折にも「大阪は民度が低い」的なネットの「識者」なる人たちの声にも聞かれた。
何故、「知識人」を自称する人間は「地方」を嘲るのか、自分のあまりにも愚かしい「差別心」をまったく認識しようとしないのか、
それで「橋下の魔の手から子どもたちを救え」だの、「性的少数者を差別するのは許されない」と言われても、
何を言われているのか、さっぱり、わからない。
わかるのは「オレたちは頭がいいから、頭の悪いおまえらはオレたちの言う「正義」だけを信じてればいいんだよ」の押しつけがましさだけだ。
新聞記事の内容からずいぶん離れた感想だが、同じ被害を受け、同じくじっと耐えた人間たちの受けとめ方が、あまりに違うことを
ふたつの地方を知る人が鮮やかにした事実もふくめて、「差別心」の愚かさを忘れたくないので、残しておく。
山折氏は80歳、それでもこんなに生き生きと、ひとの心をとらえる言葉を放つ。素晴らしいことだ。