雑記。

先日、多くのブクマを集めていた「レンジで出来る唐揚げ」の元を買って、作ってみた。
感想は、「、、、、」。「ジャロは見ている!」とつい歌い出したくなったりして、
ええと「○ョーワ」のからあげ粉の味が好きなひとにはおすすめ、ということで。
しかし初めて気がついたが、「レンジで」とか「フライパンで」出来るからあげ粉、というのはたくさんあるもんだな、
以前、ヒガシマルの「あげずに唐揚げ」を試したときは、そんなになかった気がする。
ヒガシマルの「あげずに〜」は以前「男子食堂」でその粉にごまを混ぜて焼くレシピが紹介されていて
そうすると、塩辛さが和らいでいい感じだった、でも唐揚げではないな。
「男子食堂」のレンジレシピは、まだ試していないが、やはり「レンジ」だと「似て非なるもの」というか「ビミョーなもの」、
生暖かい目で見ればそう感じられるかも、なものしか出来ない気がする。「レンジにしかできないもの!」を開発した方が良さそうな。
一人暮らしだったら、揚げ物は食べに行きなさい。
ブクマなんて見ちゃいかんと思いつつ、「ナチスなhatenaがどうのこうの」をちらっと読んで、「はい、こんにちわ」とわたしも思う。
内容の云々はともかくとして、先日読んだ「私はヒトラーの秘書だった」で印象に強く残った抜粋を保存していたので、それを記録。
ヒトラーの秘書だった人がヒトラーの影響についてこんなふうに書いている。
「私はこれらの事柄についてよく考え、それを覚えておこうと固く決心した。
でも残念なことにもう次の日には前日の夜あれほど感銘を受け心をゆさぶられたことの何もかもが、
友達に話そうとしてもぼんやりとかすんだようにしか再現できないのに気づくのだった。
あのころの私が今の自分のように大人で経験を積んでいたなら、あんなに簡単にごまかされることもなく、
ヒトラーの影響を手放しに、浅はかに吸収するようなこともなかっただろうに。そうしたらきっとちゃんと考えをめぐらすことができたはずだ。
雄弁と暗示力で人々を虜にし、彼ら自身の意思や確信を押し黙らせることができるような一人の人間の力が
いかに大きな危険を秘めているかについて。」
「私よりずっと頭がよく、経験豊富な彼らでさえも、何度もひどい目に遭っていた。
ある命令がどうしても実現不可能であることや、ある指示の遂行がどうしても無理だということを説得しようと、
彼らは鉄のような決心と、非の打ち所のない書類と論拠で武装して総統に立ち向かっていった。
するとまだ彼らが話し終わらないうちに総統が話し始める。これですべての抗議は力を失い、彼の理論の前では無意味になってしまう。
彼らにはそれがおかしいことがわかっているのだが、怪しい点を指摘することができない。
ヒトラーのもとから退却すると、彼らは絶望し、打ちのめされ、まるで催眠術にかかったかのように、
それまであれほど固く揺るぎなかった自分の見解についても自信を失った。
たくさんの人たちが彼の影響力に対して抵抗を試みたのだと思う。
でも多くは疲れてぼろぼろになって、荷車を悲惨な最期まで転がって行くままにしてしまったのだろう。」(第4章 暗殺未遂事件 p164〜p165)
「語る」うまさとはこんなに怖い。