朝っぱらから、、

楽しみに読ませてもらっている方のところで「趣味を仕事にして幸せそう」なる言葉を見る。
これはその方が考えていることではなく、お話をしている相手が言った言葉、
その相手の方の言葉を読んでいると、私のツボにはまる「イラッ」と感満載、よくお話が出来るなあ、と。(お知り合いにすみません。)
とはいうものの、その方の言葉に「イラッ」と来るのは、私自身もそういう「働かないいわけ」を考えているからだと思う。
「子どもが」「親が」って、結局「働きたくない」が一番の理由だわ、ええ、すみません、怠け者で。
それはともかく、「趣味を仕事にしたい」の話はよく聞く。でもそういうことを言う人と、本当に「趣味を仕事にした」人とは雲泥の差があるのよね。
「趣味を仕事にした」人は、ほんっとーに大変だよ、それを楽々こなしている、「働き者」じゃないと絶対に出来ないことだなあ、と感心してしまう。
それに「本当に仕事?」って言うくらい「儲からない」、
世間一般で、「すてき、主婦」の代表みたいなテーブルコーディネート教室をされている方に聞いた話では
「趣味を仕事に出来るのは利益が出なくてもそれをし続けるだけの経済力が必要」、「大体5年で続かなくなる」
「5年以上続けば、何とかなるし、それで利益が出来なくても、続ける人は続ける」「でも利益が出ないものが本当に「仕事」と言えるかどうか」
と、なかなか厳しい。
その方もご主人様とご実家のある程度の資産があるからやり続けられて、それなりの収入を得るようになっているけれど
それでも、「すごく儲かる、と言うわけではないのよ」って、わかりますぅー、先生は「いい人」なんだもの。(実は、私は「生徒」)
私が知る限り「趣味を仕事にしている」に「見える」人は、正直に言って「働くのが趣味」の人、
「働くのが趣味」だから、何をやっても「趣味を仕事にしている」と言えるわな、
「趣味を仕事にしたい」なんて呆けたことを言ってる人とは出来が違うわ。
「幸せそう」なのも、「働きたいからちゃんと働く!」と「自分で」決めたから。
でもこういう人は何らかの事情があって外で働けなくても、家庭で自分で出来ることを見つけて幸せになると思う。私はそういう人が大好きだ。
仕事をしていても、していなくても、幸せそうな人を見るのは楽しい、
ネットでも、仕事をしていても、していなくても、子どもがいても、いなくても、幸せな日常を綴る人の日記を読むのは楽しい。
時に、辛いことがあって、そのことを書くときがあっても、きっと、また幸せになれると信じられる人の日記にはいつも励まされる。
私も「イラッ」としたことばっかり書かないで、もっと「幸せ日記」を書かねば、と思いつつ、曾野綾子につっこみを入れたかったりする私。
心が黒くてごめんねえ、、、