今週は「誕生日ウィーク」なので何かと外に出かける機会がある。昨夜はダーリンと老舗寿司屋でデートをした。
よく考えてみたら、婚約時代に来たっきりじゃなかったっけ、ダーリンがまだ私を食べるもので釣っていた頃だ、懐かしい。
気候が不安定なので、入る魚が少ないと、それでも珍しいらしい「海藤花」を食べた。名前すら知らなかったよ。
そういえば、先日食べた懐石料理で、名前は知っていたが、みたことのなかったものを出してもらった、日本の「食文化」は濃いなあ、、、
久しぶりに二人で出かけて楽しかった。ダーリン、どうもありがとう。で、週末は「河豚」だー!
昨日の朝日新聞に斉藤美奈子さんが文芸時評で村上春樹の「卵」演説を取り上げていてネットでも諸説紛々であったのでなるほど、
「卵」の例えへのとらえ方がそれぞれあるなあ、と私は以前コメント欄で書いたように、村上春樹になんの期待もないので
彼が卵の側に立とうが卵をぶつける側に回ろうがどちらでもいいかな、こういう態度がもっともよくないと知っているのだけれど
それ以上の感想がない。憤る人の方が「正しい」のはわかっているけれど、そちら側に立てるか、と言えば立てない。
「中立」というのは決して高らかに表明すべき誇らしいものではなく、この「中途半端さ」を恥ずかしく思いながらも出さざるを得ない「答え」として
常に意識しておかなければならないのではないか、ネットで見かけた村上春樹に違和感を覚える人というのは
村上春樹という人が、その「中途半端」さを安寧の中で完全に受け入れていることに反発しているのではないか、
その中にそうありたい自分を見出して反感を抱いているのではないか、(もちろん私も含めて)と思った。
内田樹先生が村上春樹好きなのはなんかわかるなあ、、、
卵話はつきないけれど、村上春樹の卵演説に真っ向から反発できる人はえらいなあ、と思うのでした。
斉藤さんはいつもお怒りだ、そういう人が私は好きだったりする。
お怒りと言えば、島崎今日子さんも「メイちゃんの執事」にお怒りで、書かれていること、誠にごもっともではあるのだけれど、
まあ、許してやってちゃぶ台、「乙女」には「夢」がある程度なければならないのよ、特に、10代の少女にはね。
40、50すぎたおっさん、おばはんにばかり受けるドラマなんか作ってたら、子供が入り込んで楽しむ隙間がないでしょう。
執事とお嬢様の恋物語、なんてものに「萌え」なければ生きていけない過酷な社会状況に子供は育っていて、
そして「夢物語」とわかっていても、そういうものに浸る時期が子供には必要、何もかも「正しい」ばかりが本当に「正しい」わけじゃない、
馬鹿馬鹿しいドラマでも、人気があるのにはそれなりに意味がある、私は最近、若者が「動いている」と言うだけでドラマが楽しめますなあ、、、
年をとったんで。
「メイちゃんの執事」の原作本を今読んでいるのだけれど、これはかたちを変えた「王子様とお姫様」物語なんだなあ、と今更。
王子様がいないのをうすうす知りながら、それを必要とする子供時代の不条理を大人は忘れてはいけない、と思うのでした。
最近、子供のケータイ事情についてテレビや新聞にあれこれ書かれているけど、何を今頃、と。
中高生のプロフ事情についてはまた書く。行政の意識は低いなあ、とだけ。
「バカボンパパ」より年上になってしまったわ、、、