雑記。

今年の花粉はひと味違う、、、、を実感する昨日、今日、明日、、ううう、ここ数年、これほど酷く症状が出ることはなかったんだけどな、、、
ブクマタグがセクハラでイヤだ、と怒っている人がいて、それをしたおなじみ「えっけん君」に「セクハラ」の意図がないのなら、
謝罪してさっさと引っ込めればいいのに、何を長引かせているのやら。もうやめたのかな?そう言う対処は迅速に、が鉄則じゃないか、
ネットで「道徳家」として振る舞いたいのなら。
しかし、これに関するあちらこちらのエントリを見て、「おまえが書くか?」な人がいたりして。
「あらあら、うふふ」とブクマをつけたくなった、ここまで自分がしたことを棚に上げられるとは、いやはや、誠にネットはすごい。
セクハラ発言については、私は確信犯でやることがあるんで、特にえっけん君を責めるつもりはない。
彼は「天然」で「親父ギャグ」をしただけだろうし。
意図無しで他人を傷つけることはあるんだから、それに対してきちんと対応すれば「大人」に見られるのに、
でもネットで「大人」はまれな存在だしな、仕方がないと言えば仕方がない。
他人を傷つける言葉は確実にそれを発した本人に返ってくる、その覚悟を持って書いているか、どうか、
私にはその覚悟のない人ばかりがネットでは目につく、
どれほど酷いことを書いても「自分の指摘していることは正義」「相手のためになる」と開き直る。
それが真実であるかどうかを確かめるのは時間がかかるから、とりあえずそう書いておけば「自分が正しい」はまかり通る。
これがネットの現状、ただ、真実は時間をかけて露わになってくる、それに向き合うことが出来るのかどうか、
また、自分の発した言葉の毒はもっと酷く本人に回っていくので、それに気がついたとき、どう出るか、ネットでそれを確かめたいと思う。
時々、私は、この人の10年後はどうなってるんだろう、それまでこの人は同じハンドルで書き続けられるか、と心配になる。
そう言う人は10年後もネットには存在しているだろうが、次々と別な日記を作り続けるだろうな、
「リセット」「リセット」で都合の悪い「自分」を脱ぎ捨てていく、そうやって「自分」から逃げ続けても、いつも「自分」はそこにいるというのに。
どうもそう言う人間に私は絡まれやすいのがわかってきた、自分から逃げている人間はそれを隠すために私のような人間を攻撃したがる。
いずれ、向き合わなければいけない現実に今、向き合っている人間をからかい、貶める、それをした「はて」には何があるんだろう。
私は出来ればそう言う人の10年後をみていたいと思う。同じハンドルで、日記を書きながら。
ネットの「お楽しみ」は、それだけではなく、いきいきと活動している人の見知らぬ日々をそっとのぞかせてもらうことにもある。
「切り込み隊長」と呼ばれる人がどういう人かよく知らないものの、もうすぐお子さんを持つようで、今朝、面白い日記をブクマした。
「凄絶!産婦人科の実態!!!」とでも言うような、でも、15年以上前もそんなだったような、、
「今、入る、女の世界へ、、、」 可愛いです、この切り込み隊長。無事に出産が迎えられたらいいね。
そして、お気に入りの方はもう30週に入られたようで、早いなあ、と、あっという間に子どもって育つのよ、、(涙)
私もどんどん育つ子どもに負けないように、何か始めようか、日記を書きながら、読ませてもらいながら、思うんだなあ。
これがやはりネットの楽しみだ、さて、3Dマスクでも買ってくるか、とほほ、、、、