「ハルキ」をめぐる冒険。(その1)

大野先生のところで「村上春樹」が取り上げられていたので、多分「アンチ」に当たる私も書いてみる。
今年で大学(4年制)を卒業してちょうど20年になる私は「ハルキ、ハルキ」な世界で青春時代を過ごし、
そこまでいうんなら読んでやろうじゃねーかよ、と、バブル時代であったにもかかわらず貧乏勤労学生の私が
当時、確か一冊「1000」円もする上下巻、「ノルウェイの森」をなけなしの生活費の中から買い込んだ。
話は変わるが、私は「読まずに批判してはいけない」説を採用するタイプで、
だから先日も「僕はパパを殺すことに決めた」を読んだりして深く後悔している。
結局、読まなくてもいいようなものを読んで「時間と金を無駄にしたー!」と恨み辛みを込めて
「しょーもなかった、しょーもなかった、、」と日記でうめいたりするわけだから、今更ながら「読まずに批判」も「あり」かな、なんて思う。
で、「ノルウェイの森」を読んで、「なんじゃこりゃー!」「ちくしょー金返せー!!」と、みもふたもなく叫んでしまったよ。
登場人物がとにかくよく死ぬ、死ねば何でもありなのかー!それからわけのわからん「セックス」、
「セックス」と「死」って、なんだその出来の悪い心理学テストみたいな構造は、ああ、なんて「インド」。
そう言えば私にとって「ハルキスト」とは大学中退してインドに行ってしまう人のイメージだわ、
実際、「ノルウェイの森」がしょうもなかった、とぶつくさハルキストの知り合いに言ったら「羊をめぐる冒険」その他、を勧めてくれて、
その人は後に大学中退(「旧帝大」っちゅーに)して行方不明になってしまった、うわさでは「世界放浪」の旅に出たとか。
羊をめぐる冒険」は、「ノルウェイの森」よりはマシで、まあ、まあ、読めたかな、確か3部作になっていたような、
それらを読んでも、今、何が書かれていたか、さっぱり憶えていない。「で、「羊男」って、何?」と本を借りた知り合いに聞いてしまった。
彼は私よりも遙かに「知性」と「教養」にあふれた人だったので
長々と「羊男」をめぐる解釈を聞かせてくれたけれど、それすら残っていない。
最近も、これに似たことがあったなあ、浦沢直樹の「20世紀少年」「21世紀少年」を読み終えて
「で、カ○○○(一応自粛)って、誰?」と、ダーリンに聞いてしまったよ。「僕に聞くな」と言われたなあ、、
「ハルキ」に戻そう。
振り返れば、「ノルウェイの森」の売り方は、今の「恋空」と同じだったとわかる、
上下巻それぞれが、「赤」と「緑」の一色で「金色」の「帯」がついている、
しかも当時「懐メロ」になりつつあった「ビートルズ」の歌と同じタイトル。
あの80年代にこうも無骨なまでに「ロマンチック」なスタイルがかえって受けたんじゃないか、持ってる「だけ」で「おしゃれっぽい」も大きかった、
ちょっとこじゃれた大学生が抱えていて「スタイル」になるかんじ、
本としてはよく売れただろうが、私が思うに、「読めた」人はそう多くないんじゃないか。
一応「買う」前に親しい友達の何人かに「持ってないか」と聞いたが、私の周りではほとんど持っている人がいなくて、
私が「買った」と知ると何人もの人が「貸して」と言って借りていった。(が、上巻すら読めなかった人多し、さすが、私の友人たち!)
「ハルキスト」の知り合いも「あの本は商業ベースに乗りすぎていて、春樹らしくない」のなんのと、
彼に何故、「ノルウェイの森」を借りなかったのか、今は思えば謎、その他の春樹作品はその人から全て借りたというのに。
羊をめぐる冒険」も挿絵が確か「佐々木マキ」で、その不必要なまでに「軽さ」を装う、「斬新」と言えばいいのか、
なんだか「糸井重里」っぽさを感じて、ちょっと鼻についた気がする。
私はこれ見よがしの「メタファー」が好きではないのかな、と今書いていて思いついた。
「ハルキ」についての思い出話は尽きないので、明日に続ける。(多分)