「冒険」の終わりに。

村上春樹作品」は「エロい」で「オチ」がついたようで。
「エロ」は万国共通、そうか、「村上春樹」とは世界の「渡辺淳一」だったかー!なんちゃって、今回、いろいろ読ませてもらって、勉強になった。
村上春樹の小説とは「ディズニーランド」みたいなもんだ、徹底的な「虚構」、「様式美」にはまる人は多いだろう、
私が感じた「生活感のなさ」も「ディズニーランド」と思えば腑に落ちる、「ディズニーランド」に「生活感」は必要ないもんね。
世の中には「ディズニーランド」好きの人もいたり、好きになれない人がいたり、
私も浮き世の義理で何度か行ったことがあって、いつも「ディズニーランド」の「ノリ」にはどん引きする、
と言って、「ディズニーランドが悪い」、とか「ディズニーランド好きが悪い」、とかは思わないけど、
世間にある「ディズニーランドが楽しめない人は悪人」的な見方にはやはりむっとする。
「ディズニー」のファンタジーに心癒される人もいて、だからといってそれを嗤うようなことはしたくないし、
でも自分がそうじゃないからと言って、他人に責められたくもない。そう言うことですかね。
「アジアでウケた、がすごい」の意見も読んだが、それなら「ジャパニメーション」や「マンガ」はそれ以上に「大ウケ」しているわけだし、
その基準が「すごい」とは、「エンターテイメント」として「完成度」が高いと言うことかな。
「大衆文学でありながら純文学の皮をかぶっている」って、誰か言ってなかったっけ、
そう言えばその「文体」も「翻訳小説のようだ」とか書いてた人がいたような、
なーるほど、「すっきりとした文体」とはそれか、とぽんと膝を打ったことがあった、
そりゃー、読みやすかろう、翻訳文ほどわかりやすい日本語はないものな。
村上春樹の小説は他人に読ませるように緻密に計算されて書かれた文章で、
「形式」に安心感を憶える人にはすばらしい小説なんだろうな、そしてその「形式」は普遍で異国でも受け入れられる、
メイドインジャパン」の「ブランド」力か、ニッポン、すごい!かな?
それでもやはり私は好きじゃない、その好きになれない「理由」が20年以上経って自分の中ではっきりしたのでよかった。
この先も読むことはないだろうな、多分、この先一生ディズニーランドに行くことがないように。
そこで「楽しめる」人間であるかどうか、自分はそう言う人間ではない、を確かめにずっと行ってたようなもんだ、それは無駄ではなかったが。
なんでこんなにあの「ノリ」に「ひく」人間なのか、今後はそれを考えてみよう。
村上春樹作品にも「鼠」がいたな、「ディズニーランド」も「ミッキーマウス」がいる、私は単に「ネズミ」が嫌いなだけだったりして。
(でも水木しげるの「ねずみ男」は好きー、その「基準」はなんじゃ?)
20年以上前に読んだ小説のことを思い出していると、その内容よりも当時のあれこれを思い出してむか、むか、むか、
バブル時期に貧乏していたんで、その恨み辛みがこみ上げて、それに気をとられて、「ハルキをめぐる冒険」はまとまらなかった。
何でか「椎名桜子」なんて思い出したよ、「小説家、処女作執筆中」を読んだときの衝撃は忘れられん、
私が今までの人生で驚いた三大事件のひとつに数えられるわ、「世間ってすごい」と若かりし頃の私は思ったものだった、、
あれだけすごい「コピー」にはさすがに腹も立たん、ただ、ただ、驚いただけだったなあ、こんなの憶えているのは私だけか。
まあ、そう言う人間だから「村上春樹」も好きではないのよ、私にはそう言う「オチ」で。ああ、バブル、嫌な時代だったよな。
中国で「村上春樹」が受けたのは「バブル」時期を迎えていたからか?
ならば今度は「蟹工船」だ!がんばれメイドインジャパンブランド!!で、私の「冒険」は終わるのでした。ちゃんちゃん。