雑記。

ネットを巡回していると息のつまるような言葉に出会ったり、困った、と思う揉め事があったり。
言葉では何も出来ないのがもどかしく、それでも何か一言書きたかったり。見知らぬ人の幸せをこんなに願っていることはない。
生まれてくる子供とその母親の健やかをいつも祈っている。自分がそうであったように、他の人もそうであって欲しい。
楽しみによく読ませてもらっている方々に少々行き違いがあったようで穏やかにもめている。
私がよく揉め事を起こすタイプなので他人にどうこう言えないのだけれど、お二人は考え方が全く違うのだよなあ、
どちらがいいとか、悪いとか、の問題じゃなく、
一言で言えば「事なかれ主義」を考え方のひとつとして採用している人と、ぶつかり合いながら関わっていく方を選んだ人と、
ちょっとしたことで反発してしまうものなのかな。基本的に私にとって村上春樹とは「黄信号」が点滅する作家なんですが。
深い深い虚無のある作家だなあ、これが好きというのは私には理解できないことで、
でも彼を好む人が村上春樹にある種のパフォーマンスをしたとして、どう思うか、これはファンの言い分を認めるしかないなあ。
数年にわたってよそ様の日記を読ませてもらっていると薄ぼんやりと言葉の向こう側にいる人の姿が見えた気がすることもある。
少なくとも私の中でこの方はこういう範疇に入ったな、と、もちろんそれが「真実」であるとは思っていない。
たいていの人間はそうだろう。
(たまに精神科医であるにもかかわらず、ひとつのエントリを読んだだけで「診断」を下す職業倫理の欠落した変わり者を見かけるが)
それでも、定期的に読ませていただく日記の書き手は善良な人たちであると信じ、常に好感を持ってエントリを拝見している。
数年にわたるらしい行き違いがどこまで続くか、それもまた、誰かに影響を与える何かになるんだろうな。
事なかれ主義もひとつの意思だったりするのは許されないことかな、そう言うことをチラッと。
お気に入りの方のところで、小学生のケータイ事情をちらりと教えてもらって、進化してきているなあ、本当に子供の世代交代は早い、
「3年」で子供の世界の「常識」は全く入れ替わる、今、うちの子世代でもめていることなんて数年後には「化石」になっているような。
ケータイ事情は住んでいるところによって違うようで、特に都会の事情は時々拾い読みさせてもらう限り、地方などとは全然違う。
危なさの度合いも違ってくると思う、実際、小中学生のネットでの関わりから性的被害に遭う率は高くなっているらしいし、
私が腹立たしいのはたった12年か13年しか生きていない「子ども」を「大人」扱いして性的対象としてみるのも「当然」だと考える風潮、
これは私の子ども時代もそうだった、「見た目」で全てを決めてしまう、体の発育がよくても頭や心の発育までいいとは限らない。
むしろ見かけが子どもっぽい方が周りを見たり聞いたりする機会が与えられることで深く考え、精神的に成熟しているかもしれない。
「体は大人なんだから」と、それがどれほど子どもたちを傷つけてきたことか、
自分の歪んだ欲望を正当化するためだけに子どもの心を犠牲にする人間を私は憎んでやまない。
また中学生は「自己責任」を薄ぼんやりと知っているから、「自分が悪かった」と思ってしまう、それを哀れに思う。
特に、「親」を経験してきて、やはり子どもは子どもでしかない、と知っているだけに。
中学生くらいの女の子の頭の中はふわふわと夢のような話が現実と奇妙に絡まり合っているから、
なんの覚悟もなしにネットの言葉にのせられてひどいめにあう子の方が多いと思う。女子中学生事情についてはまたそのうちに。
遠い国で不安を抱えている人にこの上ない幸福が訪れることを心から祈っている。言葉だけしかない世界が今日は悲しい。