行正り香さんの「おうちに帰ってごはんにしよう」の中に
留学先のアメリカで「男女平等、二人働いてるから生活費半々、家事も半々」の「落とし穴」に気がつく、と言うくだりがある。
「この半々のシステムだと、家事をすると言うこと、家族のためにお金を使うことが面倒な「義務」でしかなく
互いへの「押し付け合い」になってしまうのです、これも何とも味気ないものです。
あまり助け合わないのもよくないけれど、あまり責任を押しつけあうのもよくない」(注;「カギ括弧」は私がつけた)
これは名言だなあ、と心から思う。「家族」を作る、って「半々」で出来ることではないんだよね、離婚の序章(?)におののく増田夫に読ませたい。
増田の奥さんは本当によくやってる、「血反吐、はいてる」のは奥さんの方だよ、「仕事」でも「家庭」でも、と思ったら、もう別の増田で書いてあった。
増田夫を責めるのはよくないと思いつつも、その「奥さんはいつもにこにこしてくれなきゃ」の「考え方」が奥さんを追い詰めてるんじゃないかな。
「俺はちゃんとやってるぜ、ちゃんと母親やってくれよな」って、奥さんは週のほとんどをたった一人で子育てしているんだから、
そのストレスは相当なもんだろう、それなのに「いつもにこにこ、妻としても完璧、母としても完璧に振る舞ってくれよな」と押しつけてない?
なら、妻に仕事を辞めさせる程度の収入を見せてくれ、と私ならいうよ、「すてき、妻、母」を「パフォーマンス」として求めるには投資も必要。
奥さんが夫婦関係すら拒否しているのは理解できる、奥さんの心の中に冷たいかけらが育ってるんだと思うよ、
「あなたはなんにもわかっていない」と、「愛」がさめかけてるのかもしれない、自分のそんな心を責めながらも。
「俺はやってるよ!」なんて心がけでしてくれてることなんか、相手にはほとんどひびかない。
それは単なる自分への「いいわけ」、「俺だってこんなにやってるんだからな、どうよ、完璧?」みたいな態度を「賛美」するなんて、
仕事を持っている奥さんには「無理」!奥さんだって「仕事」をしてるんだからそれをもっと認めなければ。
育児しながらの仕事がどれほど大変か、新卒、新人だった頃、職場で見たことを思い出す。
3人の子持ちで、しょっちゅう保育園から電話がかかってきては、早引けしてお迎えに行く先輩がいて、
それを職場の同期の独身男性によく責められていて、「女はいいなあ」と、
まあ、20年近く前の話だから、そう言うあからさまないい方も平気でする人がいたわけで、
その方は、いつもにこにことイヤミを受け流されていたのだけれど、
ある日、私がお茶を入れた時、「大変ですね」と一声かけるとポロポロと泣き出されて、
30半ばにさしかかる、きちんとしたキャリア女性でも泣くんだ!と、私はあわてふためくばかりで何も言えなくて、
いってはいけないことをいってしまったのではと、とても後悔したけれど、小さな声で「ありがとう」と言われて、
なんだか本当に悲しくなった。
あのとき泣かれた気持ちが今になればよくわかる。平気なふりをしていても、職場で辛かったんだろうと思う。
決して仕事が出来ない方ではなく、むしろ非常に効率的に短時間でするべきことをやり上げていた。
「時間」と「余裕」があればもっともっといろんなことが出来た方だと今でも思う。
しょっちゅうイヤミを言ってた同期の独身男性の方は、たばこでいる場所を汚すことで、自分の存在理由を示してるんじゃないか、
仕事も出来なくはないけれど、むしろ「自分は仕事をやっています!」の「プレゼン」の方が「仕事」の内容よりも充実してるんじゃないか、と
私は見ていた。「新人」だったから、にこにこしながらお茶を入れてたけど。
女が働きながら子どもを育てるってこういうことなんだ、、と鮮明に覚えてる。増田の奥さんは職場でも悲しい思いをされてる気がする。
仕事を持つ母親の育児とか、切ない話はいくらでも思い出せる、
私が「女」だからだろう、まだ、ほとんど「男が仕事しながらの子育てで泣く思いをした」のは全然知らない。
「家事は半々」の考え方は、本当はお互いが相手の負担を軽くするためのものであるはずなのに、「義務」「押し付け合い」になる。
行正さんは最近、仕事を辞められてフリーで料理研究家として活躍されているよう。
固定収入を手放されたのは二人のお子さんがいるのと無関係ではないだろうな。
今回、トラックバック先などでいい意見がたくさん見られたのが収穫。
私の場合、専業主婦で家事、育児に専念していても煮詰まることはあって、そんな時に譲ってくれる配偶者でよかったざんす、と書いておこう。
(ダーリン、読んでるー?)