「家事」、雑談。

増田記事後のあれこれを読んでいて、ふと気がついたのは男性側で「ボクは料理を作ってる!」と昂然と発言するのが多いこと、
ここら辺から「家事分担の半々」説が怪しくなる、
作るのと片付けるの、どっちが大変か、女性にたずねれば半分以上の人が「片付ける方!」と言うと思うな、女性が「赤毛のアン」でもない限り。
「あなたは作ってね、私は片付けるから」は最大限の妻の「許し」で「愛情」(9割がた「あきらめ」もふくむ)と思った方がいいと思う。
何でも「作る」ってのは簡単、でもその後の「後始末」が大変、
料理を「作る」と言うのは本来「片付ける」手順まで調整しながらやっていくもの、それが出来て初めて「料理した!」と言える。
無邪気に「ボクは料理、掃除は妻」なんて書かれてると、おや、奥さんに、お皿のお片付けをさせてるんですかね、と疑いたくなる。
食事が終わった後、何もしないでのんびりしたいのは誰もがそう、
それをぐっと抑えて鍋釜や、皿、シンクを洗って、コンロやテーブルを拭いて、初めて「料理した!」と言えるんだけど。
自分が作ってない後片付けは、自分が作って片付けることよりも面倒だったりする。「手順」が違うから。
私は「ボクはちゃんとやってるから」派の「料理してます!」なんてのを信じる気にはとてもなれんな。
「作る」は派手な行為なんだよね、目に見えた「達成」感があるから。
「掃除」もそうだ!と言われるかもしれないけど、「達成感」が感じられる「掃除」なんてのは普段「やっていません」の証拠でしかない。
「掃除」とは「捨てる!技術」の辰巳渚曰く「プラスをマイナスにしていく行為」決して「創造的」とは言えない、大々的に何かをかえるんじゃない限り。
「料理」とは結構「気分転換」になったりするので「作るだけ」と、片付けて仕上げに台所の床を拭く、までするのとはレベルの違う「家事」だ。
「作った!」の「達成感」の爽快さを夫に譲ってあげて、上手に夫をあやしてる優しい妻のよくできた顔が浮かぶのは
インフルエンザが残ってるせい?
女性の「愛」は本当に深い、と男性はもっと骨身にしみてわかった方がいいと思うわ。
私は働く女性の家事観や手法を読ませてもらうのが好きでネットでも機会があれば拾い読みさせていただくが
いつもキャリア女性の夫に「譲る!技術」には感服させられる。家事の小さな「こつ」よりも、それがいちばん大事だよね、、
男性側は、「譲られる」ために「愛される技術」を磨く!が大事かな。
「家事」を甘く見ている人がまだまだ男性側に多いのを確認できるのが情けない。
「家事」を「専業」でやってる私はインフルエンザにかかっても「いつでも休める」と思うから、結局いつもの家事をして普通に生活してしまう、
それはやはり「人には任せられない」の気持ちがあるのと、また後で山ほど片付けるのは私、、、と思ってしまうからなんだよなあ。
自分の意識改革も必要。
今回のインフルエンザはほぼ二日で高熱は下がったので、あと数日でぬけるかな。予防接種が効かなかったのは痛かった、、、