剣道大会がなければ決して足を伸ばすことのなかった鄙びた町をたずねて、
戦火に遭わなかった土地の奥ゆかしい美しさに心打たれることがある。
古さを上手に繕っている場所は、過去そこに生きた人の気配を感じさせて、
初めて訪れた人間をも柔らかく受け入れてくれる。
もし60数年前、戦争が「なかった」としたら、日本はどんな国だったのだろう。
「あの戦争に「勝った」としたら」みたいな「妄想」よりも、私は戦争が全く「なかった」方を時々想像する。
町が丁寧に受け継がれてきたことをわれ知らず誇るのを見ると
60数年前に日本の主要都市から奪われたものの大きさに今更ながら悲しみを覚える。
戦争が無惨に奪うのはそこに住む人の命だけではない、そこに「未来」住む人と「過去」を結ぶつながりも断つ。
地上侵攻が始まったガザの街がどのようなつくりであるのか日本の片隅に生きている私が見ることはない。
それでも多くの人が、子どもが犠牲になっていることはよく知っている。
町にはその人たちがそこに「生きた」証があるはずだ、戦火はそれをも無惨に破壊する。
過去の日本がどのような国であったか、うつくしい国だったことはその片鱗からもよくわかる、
ただ、それを壊したのは何だったか、誰だったか、
昨今、「あの戦争を間違っていなかった」を高らかに歌い上げる人間たちは一瞬も振り返ることがないようだ。
私は都合よく用いられることのある「自己責任」の言葉を過去の戦争を賛美する人間が知っているか不安に思う。
「自己責任」とは、現在、住むところさえ失って社会に見捨てられかけている人たちに投げかける言葉などではない。
「自己責任」を問うべきは戦争を避けることが出来なかったかつての「軍」に対してではないのか、
戦争が奪った「つながり」のために今、行き場をなくして途方に暮れる人を多く生み出しているのではないか、
戦火に追われているわけではないのに住むところさえない人を思うとき、過去の戦火が現在をも焼いているのだと感じる。
かつて戦争で焼け出されることすら出来ず、命を落とした人たちがこの国によみがえり、何かを訴えようとしているかのようだ。
紛争から逃げて難民キャンプにたどり着いた人たちはそこに暮らすうち、無気力になると聞いたことがある。
それは自分が「今」住んでいるところの「過去」と「未来」に自分を結びつけることが出来ないからではないか、
土地に「住む」と言うこと、「定着する」ことの大切さを、不幸も幸福もその町に確かにあったのだと見いだせる町に出会うと考える。
今は「人の住んでいる町を壊すな」と争う人たちに言いたい。現在が未来から過去を奪うのはやめろ、と。
60年以上前の戦火はまだこの国を焼いている、生き残っても住むところを失う苦しみが今もこの国で続いている。
一方的に増える死者の数が悲しい。
何も出来ないのを後ろめたく思うが故にほとぼりが冷めた頃、また私は募金をするのだろう。申し訳ないと思う。