雑記。

ネットを拾い読んでいて、しみじみ思うのはみんな「心の病」の人をいじるのが好きだよなあ。
明らかな「心の病」の人に一斉に飛びかかったりしてそこまで追い詰めてなくてもいいじゃないか、とうんざりすることがよくある。
同じように、単なる馬鹿を適当にいじくって収拾がつかなくなって「心の病」「かわいそう」なんてレッテルを貼るのも大好きだったりする、
これは私がよくやられてるな、ネットで書いてる人間なんて大なり小なりどうかしてるもんだと思うんだが。
くだらないことはやめとけ、と言う意味で私は馬鹿馬鹿しいことを書いて関わってきた相手に注意しているつもりでも、
それが通じないから結局、どんな形をとっても他人が他人を理解することも、理解されることも、変えることも、「無理!」ってことに落ち着く、
それを悲しいと思うほど私はもう若くはないんで、良かったなあ。
言葉で力を振るう「幻想」を抱いている人が多いとネットを読んでいると特に思う、本当は「言葉」なんてほとんど意味がないのに。
それよりむしろその「言葉」を「発する」という人間の「行動力」がうそ寒くて、いちいちよくこんな人を拾い上げてブクマするよな、
心であれどこであれ障害のある人の障害を指し示して嗤うって、決してすばらしいことではないだろうにな。
馬鹿が馬鹿である権利はない、と言うことか、馬鹿が馬鹿のままで生きられる世界はこの広いネットですら存在し得ないか、
人の心が狭いかぎり、ネットも広くはならないんだな、やれやれ。
今朝の朝日新聞にまた田母神「ろんぶん」のあれこれが載っていて、抜粋を以前読んだかぎり、
これの全文を読むよりはまだ「日本語が、、」を読む方が千倍くらいましだよな、全部読んでないけどもうおなかいっぱい、
こんなのが日本の防衛のトップだっただなんて本当に9条ってすばらしい、9条あっての自衛隊、と思った。
「平和」だからこそ、こういう頭に花が咲いているような人がトップになれるんだろう。
本当に国が危ないんだったらこんなにものを緻密に調べない人がトップになれるわけがない、と私は思いたい。
この「ろんぶん」のなにがいちばんいやかって言うと、戦争が侵略であったにしろ、なかったにしろ、
ただ「負けた」ことへの「反省」がほとんど感じられない点、
例え「濡れ衣」を着せられたにせよ、それは戦争に「負けた」からでしょうに。
戦争に「負ける」ような軍隊なんか国の「お荷物」でしかないんだよ、負けた軍隊の残骸がなにを言うやら。
戦争に「負けた」責任は国民全員に押しつけて今頃「あれは侵略じゃない」の「アメリカにはめられた」のと
あーあ、また戦争しても負けそうだよな、せめてお飾りはお飾りらしくしてくれ。
週末イレギュラーに忙しかったので、庭仕事が全然出来なかった。もう12月じゃないか!いそがねば。(ってなにが?)