補記。

昨日はazumyさんのところにおじゃまして、書き方が悪かったせいで「電車でもの食う人」と誤解を受ける。(結構、ショック。)
「本」を人前で「1人」で読む行為を、「お菓子」を人前で「1人」で食べる行為、とおきかえてみれば
日本的な「作法」からすればかなりはずれた行為と思える、の意味で、
人前でとるべき行動かどうか、非はどちらにあるのか、が明確になるか、と思ったのだった。(正確に伝えられなくてごめんなさい)
私は人前で1人で食事はしないな、「したくない」から「出来ない」。
ま、なんで「したくない」か、これは色々理由はあるけど、あんまり関係のない話なんで今回はパス。
でもそれを「する」人をとがめることはない、他の人が食べてないところで自分1人でものを食べる、と言う行為が
「いい」か「悪い」か、はかなり「日本的」な問題であると思うんで。「ローカルルール」だよね。
「一緒にいるとき本は読まないで」と、ほとんど言えなかったことに興味を覚える。
「私といるときはネットをしては駄目」「私といるときは本を読んじゃ駄目」と私はあんまり考えなしに言うし。
「なんで?」と聞かれたら当然「どうしても」というわけで、azumyさんが書かれたとおり、「私を無視しちゃ駄目」、
でも相手は実は別に無視しているわけでもない。
ただ、今それをしたいだけ、だったりすることが多いんで、(多分)「だめだめ、それはいやいや」と相手にねだる、
まー、やっぱり子供みたい、「私のことが嫌いだからそんなことをするのね」(なんちゃって)
この心理を知っているから青春時代のazumyさんは「本なんか読まないでよ」と指摘が出来なかったのか、
あるいはやはり「本」というものの「独自性」、「読書の邪魔をしてはいけない」の「マナー」から出来なかったのか、
複雑に感情が入り組んでいたのか、この辺が面白いと思う。
読書とは、1人の世界に入っていくことで、それを親しくしている人の前でするべき行為かどうか、はっきりしてるように思う。
読書する相手への「遠慮」がその行為を「不愉快」だと言えない、それに甘えている部分が多いのを自覚する私はちょっと反省。
ところで我が家は全員同じ部屋で一緒にネットをする「ネットカフェ」家族だったりして、
(でも、私はその時間帯に家事をしてるんで、「一緒」は少ない)子供とその父親が、見つけた漫画やユーチューブを
一緒に見たりするのに、「ああっ、1人にしないでよぅ」とつい、声を出すのでした。
azumyさんは言えなかったんだねえ、言ってもいいのに。そこが性格の違いなんだなあ、としみじみ思ったのでした。
過去、同じような状況で私が「ディケンズ」を読むのをとがめた友達は「銀色夏生」を読む友達のことはとがめなかったことを思い出す。
ぬぅぅ、「差別」じゃ、今だったら、「恋空」か?昨日、そのストーリーの詳細をお気に入りさんのところで確認して驚愕する。
それは「お笑い」ではないのか?みんな「お笑い」として楽しんでいるのじゃないのかぁー!
リアル中学生の娘に聞くと「ケータイ小説」には反吐が出ると、貸してもらって「ディープラブ」「恋空」を読んだけど、
「全然駄目」だ、と、彼女の趣味は恩田陸宮部みゆきで、今受験前なのに京極夏彦「魍魎の筺」を読んでるんで特殊かも。
でも周りのお友達も「ケータイ小説」駄目っぽい。ちなみに娘は「ハルヒ」もだめ。
これは私の「教育」が悪かったってことなんでしょうかねえ、、、協調性がない?
私は「腐女子」が駄目、年代的にも読書傾向もかぶってるものが多いのに。これはさびしい、仲間に入れておくれよぅ、、、