雑談。

 

下の娘は開発・研究採用者のみのかなりハードな研修を終えて

採用は入社した時点で終わるわけではないのを知った。

より精度を高める研修でだれが幹部候補になれるかが明らかにされる。

世間では「就活で学歴は関係ない!」なんて阿呆に都合の良い言説が採用されがちだが

厳しく数値が出される研修では結果は見事なまでに偏差値順で

娘は感心していた。研修を始めて早々に結果がわかってくるそう。

「やはりできるだろうな、と思ってた子がトップだった」と、

彼は性格もガタイもよいそうだ。

うちの娘もトップ層に食い込めたので本人はほっとしている。

それぞれの所属先の新人選手権で、もっと言えば、各旧帝大選手権でもあり、

出身研究室選手権でもあるのでプレッシャーが強め。

「今回は〇〇部門がトップをとった」「うちの新人は何位だった」と

全員に知られてしまう。

この研修であぶりだされるのは成績だけではなくプレッシャーがかかった時に

どんな振る舞いをするかも見られているように親世代には思えた。

プレッシャーに弱くすぐ破綻する人間もいたようで、

グループワークでそういう人間の面倒を見つつ自分の成績を維持するのは大変。

「慶〇の理工ってひょっとして、バカ?」と仲良しが娘にたずねてきたそうで、

「しかも「推薦で入った」って、自慢になるの?」と、これは娘も不思議がっていた。

「推薦枠って一般では入れない人間が行くやつだよねえ」と

一次研修時もやたらと「僕は〇応の理工だから、推薦で入ったから」と

さもステイタスのようにグループ内で語るので娘には不審がられていた。

今回の研修はほぼ全員が地方の旧帝大か有名国立大学理工系出身、

そこで「俺、慶〇」が有効かどうか、頭がよかったらわかるはずだが、

馬鹿にお墨付きを得ただけで成績もほぼ底辺、

「東京ではステイタスが高いんだろうね」と娘には憐まれていた。

娘と同じくトップ層だった仲良しはある日はっきり

「俺、〇応」君に「何でここにいるの?」と聞いたそうで、

「当然できるはずのこともできない、できないこともわかってない、

なのになぜここにいられるの?」と、

一見辛らつに見えるがもう不思議で仕方がないから聞いた、のような

聞かれる側にはこれほどつらい言葉はないが、それが実力の差なんだろう。

さすがにうちの娘はヒヤッとしたそうだが、

「一番の問題はできないことが全然わかってないことだと思う」と、

的確な答えを出していた。

自分には何ができないかが理解できなければできる人間のことも理解できない。

トップに行く人間に道を譲るのも「技術」である程度の能力がなければできない、

無能力な人間は足を引っ張るだけしかできないのではないか。

しかもそのことに自覚がない。

いずれ彼ははじかれるだろう、と研修で

成績上位層は組むのに気を付けるべき人物をはっきり見出しているようだった。

理系の研究職は一生ハード。きつい。おわり。

 

「アナザーカントリー」・雑感。

ウィキペディアによるとこの映画は1984年製作、元は舞台で、

両方とも主演はルパート・エヴァレット、彼を売り出すための作品だったよう。

昨日はこの映画の背景を理解してみた日本女子がどの程度いたか、と書いたが

考えてみれば、お耽美するためのドラマなのでそういう知識は必要ないのかも。

いまだ、映像の中のルパートはけだるく美しい。

私は若かりし頃、彼の魅力がさっぱりわからなくて実は今もそうなんだが、

やはり退廃を体現するその存在感は圧倒的だ。映像に残すべき人だろう。

彼の日本語のウィキペディアでは略歴はさらっとしか触れていないが

英語版によるとかなり複雑な青春時代を送ったようで、

舞台で脚光を浴びるまですさんだ生活をしていたらしい。

しかし、育ちがよいためおそらく上流階級の英語を話す。

故の抜擢だったか、ルパートなしにこの作品は名作にはならなかったと思われる。

英国のエリートを養成するパブリックスクールの中でも名門中の名門である

イートン校で寮生活を送る、とびきり恵まれた10代後半の若者たちは、

将来が約束されているがゆえに日常が物憂くみえている。

退屈で環境に甘やかされている幸福な日々が映画の中で余すことなく描かれる。

これだけでも恵まれない青春時代を送るほとんどの凡人の心をとらえる。

現在も大活躍中のコリン・ファースも昔から変わることなくコリン・ファース

魅力的だ。そのうえ、出てくる面々が驚くほど全員美しい。

確かに日本でもエリートは容姿にも恵まれているわ、、(涙)

そういえば、この作品は日本では「おしゃれ映画」としても有名であった。

制服の着こなし方、着崩し方、

すべて恵まれた容姿をもとに基本を押さえたうえでの上手な演出で、

これを当時の日本人がまねようったって、できるもんじゃない、

それがわからない程度に幸福だったのね、日本人。バブルだったしね。

現在、おばはんになった私の目でこのファッションを見ると、

寮生である彼らの就寝前のガウン姿が可愛らしく、ウールの質の良さが光る。

日本ではこの手のぜいたく品は一般化されなかったな。

私は彼らがゆるっと羽織っているウールの薄いガウンが欲しいわ。

というような割とどうでもよいようなところに目が行って、

内容的には30年前と変わらず1930年代のエリートの繊細な心情は私にはわからない。

ただ彼らの親世代となった私には、主人公が当然のものと信じていた境遇が

簡単に自分のしでかしたことで取り上げられてしまう。

その仕打ちへの理不尽な怒りがやはり「青春」なのだなあ、

エリート校で最優秀層を意味するきらびやかなベストを身に着ける「権利」が

奪われたことで身も世もなく泣いてしまう、

若かった頃の私は「ヤンキーかっ!」と

その価値観が意外に日本のあほなヤンキー層の

「制服の裏地に〇〇を縫い込む」のような共通項を見出してあきれたものだったが、

今は哀れに思う。なんだかんだ人間は狭い価値観の中で生きていくものよね。

あと、主人公が未亡人である母親に大切にされ、また大切にする愛情深さに

ぐっと来た。私も息子が欲しかったかも。

しかしイケてるベストが着られないからと言って反体制に走られては困るな。

ま、本質的にはそんな話でもないが。という感想を持ったのでした。おわり。

古い映画を見返す。

ジョニー・デップが「ファンタビ」降板だそうで、涙。

良い俳優さんなのに、私生活がどうにもな。

こういう仕事しかできない人から仕事を取り上げるのは

一種のパワハラに見えるんだが、どんなもんなんでしょうな。

最近、人生の棚卸のようなものを始めて、しかしさぼり屋の私は

昔読んだ本や映画を見直すばかりでよろしくない。

先日、U-nextで大学時代、一部女子に圧倒的支持を得た

「アナザーカントリー」を見つけて、どんな話だったかとみなおしてみた。

最近の言葉で言えば「腐女子」の先輩に勧められ見に行った映画だったが感想は

「男の恋人に捨てられてなぜかソ連のスパイになったイギリスのボンボン」で

隠しようもなく育ちの悪い私にはさっぱり理解不能であった。

本来、国の中枢の人物になるべき育てられた名門校生が

その学校の伝統であるカラフルベストを着用できなくなってスパイになるって、

「はぁあぁあぁあぁ?」ってな感想でしかなく、

しかもなぜめそめそよく泣くのか、まことに不可思議で、

先輩に「どうだった?よかったでしょ、私はもう3回見に行った」と言われ

一見、腐女子に見えがちなのにさっぱりその方面の才能がない私は苦悶した。

現在見直して思うのは、この映画を完全に理解できた日本人女子は

かなり数が限られただろうということで、この英国のクラシックな階級制度、

ソ連はまだ帝国ロシアの匂いを持ち、さらに共産主義に夢を持ちがちな時代で、

かつ、戦後間もない英国は戦時中ソ連との協力関係の記憶が薄らいでなかった、

ゆえにソ連側に走るインテリ層がいたとしてもさほど不自然ではない。

この状況を完全に把握したうえでやはりロマンチックな

ある種の恋愛ストーリーであると、理解できた日本人女子はいたのか、

なぜこのような解釈の難しい映画を配給させたのか、

英国本国でよほど流行っていたのか、

それとも英国人美形男優たちをはやらせたかったのか、

まんまと私世代でこれで英国名産美男子俳優を圧倒的に支持するようになったんで

マーケティングは大成功なんだろう。

ある種の日本女子は萩尾望都先生の「トーマの心臓

竹宮恵子先生の「風と木の歌」などで「美少年の塊」「名門男子校」に

どっぷりはまる素地があったので、「ザ・リアル美形学校モノ」として

楽しくみたように思う。当時の私は「金返せ」だったが。

というわけで明日からこの映画の現在の感想をメモ。おわり。

日常。

今日は終日外出。疲れた。

マイダーリンと「クイーンギャンビット」の最終話を見た。

主演女優さんが魅力的だから見られたんだよなあ、

イケメン度がやや低めで、

ただひたすら主演の女の子のかわいい顔と衣装を楽しんだ。

「梨泰院クラス」もキム・ダミちゃんだから最後まで見られた。

結局、おばはんは「この子を見ていたい!」と思わなければ

ドラマもまともに見られないのかも。集中力がないのでな。

「愛の不時着」も俳優さんのどちらかを気に入れば見続けられるのか。

1話だけ見て断念して、特に後悔はない。長いのでな。

長いといえばアメリカの大統領選はどうなるやら。

お年寄りがひたすら命を削っているわ、、(涙)

なんとなく地味なガースーが光って見えるような。

おわり。

 

雑談。

はてなではいまだ某靴下メーカー話をやっているが、

おばはんはグンゼ一筋なんでどうでもよいわ、そもそも、お前ら、買ってるんか?

最近、忙しかったので手がボロボロになり主婦湿疹まで出てしまって

慌てて手元にある小さなボディーローションを持ち歩くようにしていたら

その匂いがどうにも合わなくて、

どこかのホテルのアメニティーでク〇ランスなんだが、

いわゆる「ユニセックス」の香りで

あちらこちらの素敵(と言われる)ホテルを泊まり歩いてようやく気が付いた

「大人のラブホ」に当たる高級ホテルはどこもそのアメニティー

ユニセックス」の香りで、

ユニセックスのセックスは、そのセックスだったんかー!などと

ボケたことを言い出すアテクシ。

しかし、怪しげなカップルを高確率で見つけるホテルは

アメニティーの香りが微妙なおっさんのシェイバー臭がする、

既婚者の浮気をごまかすこまやかな心遣いなのか、

そういうホテルは会社の経費で落とせる系でアテクシのような自腹で払っている

おばはんの敵とみなすので、今後、使うことはない。

この手の妙なにおいのアメニティーが気にならない女が浮気相手って

だいぶん、頭の中があれな女と付き合ってますな、呪われろ、と、

都心部の某大企業併設のような有名ホテルの廊下を夜中、いっぱい気分で

へらへら歩いていると微妙な年齢のカップルの濡れ場に遭遇して

酔いがいっぺんに冷めた記憶がクラ〇ンスの香りでよみがえり、

やっぱりこれは捨ててニベアを買おう、と決意したおばはんなのであった。

においの記憶って怖い、おわり。

日常記録

週末、諸事情があって娘たち二人とも帰省してきて

立派な社会人の顔になってそれぞれの交通機関から降り立ったので感無量。

祖父母宅に行くときはすっかり孫の顔になって、

また出ていくときは家でゆっくりしたので私の子供の顔になっていた。

目的地に着くころには、すぐ社会人の顔になるんだろう。

上の娘は一足先に東京に発って、時間の余裕があった下の娘を送っていく折、

祖父母宅に連れて行くと、昼食前だというのに、

私の義理母はやたら駄菓子を娘に食べさせたがって

帰省前にたっぷり食事をとらせたい私はいちいちブロックするのに疲れたが

後で娘にたしなめられたのは

「私はおじいちゃん、おばあちゃんのところですすめられたものは

断らないようにしてる、それがおばあちゃん孝行だと思うので」と、

食べさせてくれるならもう少し身になるものにしてはもらえまいか、

ましてや消費期限が危うそうなものを

なんでこれから一人暮らしの部屋に帰る娘に食べさせようとするのか、

あなたを守るために譲れない!と思うものの、その心がけには、ほろり。

昔から義理母の孫への愛情の示し方が私には世代間の相違を

強く感じさせるものだったりして(異様に長幼の差をつけたがる、

上の娘にだけものをあげて下の娘には妹だから我慢しろと言ったり)

私も「堪え難きを耐え、忍び難きをしのび」の部分もあるので

余計イライラするんだが、娘にとっては大事なおばあちゃんなんだろう。

そういうおおらかさは私が持っていたものではないなあ、と

二人の娘たちは孫の顔になったり、私の子供の顔になったり、

厳しい社会を一人で用心深く歩く人間の顔になったり、

この先、様々な顔を持つ豊かな人生を送ってほしいと

最近はおばはんの顔しか持たないアテクシは思ったのでした。

 おわり。

やらせ炎上?

はてなのトップページを見るとなぜか常に企業サイトが炎上している!と、

数日に一度は「〇〇が〇〇をやらかした!」のようなネタが上がって、

ブクマが100ほどつくようだが、

これ、ネットの総会屋がやってるんじゃないの?と思ってしまう。

なんとなくマッチポンプ的なにおいがして、

わざとネタになりそうなあざとい発言(?)をして突っ込みをはてなでして

少なくとも「ここにこういうものがあります!」の注目は集まるし、

「こういう発言をしたら大変ですよ、私がコンサルタントしましょう」なんて

企業に持ち掛ける連中もすでにいるような、

世の中、ろくでもない詐欺事件が山のように起こることを

ひょんなことから知ってしまう私なので、つい疑ってしまう。

最近「ITこんさるたんと」なるもの、増えてるしね。

それが株式公開しているはてなの稼ぎ方、と言われたら何も言えないが、

少なくとも倫理観が欠如している人間が小金を稼ぐの見本になってよいな、

でも世の中にはうっすら嫌われて結局大金を稼ぐわけではない、

大昔、私は兄弟から「はてななんかにいるのか!」と吐き捨てられた経験をして

なんでそこまで言われなければならない、と思ったが、

この手の業界に長くいる兄弟がはてなを見る目が

最近になってようやくわかってきたような、

不自然に何でもかんでも「炎上」に仕立てるのはいかがなものか、

金とはまた別に何らかの権力を持ちたい輩が社会には山ほどいて、

そういうものの縮図になっているんだろうな、とおばはんは思うのでした。

でもブコメ欄に一般・古参はてなのIDを見かけなかったりして、

むしろ見かけると、ああ、この人、こういう業界の人だったか、と感慨深い。

この手のものにいつもブクマしている古参がいて、

かつて持っていた信用度があっという間に目減りしているのは

見えていないんだろうな、とがっかりしている。

作られたなにかは自然発生したものと違って寿命は10年とないようだ。

個人ブログはなんだかんだで日常記録が一番良いわ。

おわり。