雑談。

北海道の男児はまだ見つからないようで、心が痛む。
ニュースに関連してか、親が子供に切れることへの批判があったようで、ネットにその反論のような記事が出て、子育てはつらいよなあ、と涙。
お互いにどうしようもなくなってこう着状態になることはよくあるものよ、相手が幼児であっても、自分の子供だからね、親だってつらいのよ。
と言うことが、理解されにくくなっているのが、親をやるのがつらい大きな一因だったりして。
今回、子供を「置いてくよ!」とやってしまった親の心を逆なでするがごとくのツィートが問題になっていて、
こりゃー子育て現役世代にはがりっと来るわ、そこにいたるまでの親の全てを小馬鹿にしている風だからね。
そして微妙に「ナルシー」で、これをツィートした人間はちゃんと親をやってきたかな?と思ってしまうなあ、子供がいても子育てしてない人っているからねえ。
子育ては見世物じゃないんだけれど、見世物になってしまってる、子供が少なくなっているから。
昔の子供が多かったころの育児なんてほめられたものじゃなかったけど、なんだかんだでそれなりに大人になってやっていってるわけだから
ゲーム機をバキバキ折ろうが、「置いてくよ!」と親が切れようが、そこそこ子供はまともに育つ、そういう意識が消えつつあるんだよね。
いつまでたっても大人にならない大人が増えたから。
これが「親がちゃんと育ててくれなかったから!」に置き換える馬鹿が多くて、現在親をやってる世代への攻撃に変わっているわけで
この手の「老害」をどうにかしないといけないなあ、君はそこにいる子供ではない、をわからせないと。
と言うことを書くと「子供の教育に介入するのはいけないのか!」なんて反発が来るんだけど、その意見への私の答えは
「はい、いけません、日本政府でさえ、基本的に子育てにさほど介入してきません、ましてや個人で行きずりのあんたはそれをする権利を有しません」
「口を出すならとことんその親子につき合う覚悟はあるか?」と自分の意見を押し付けてくる人間に言いたいわ。
PTA活動をやってきて、少なからず他人の子育てにも関わって、わかったことがひとつだけある。
自分の子育てだって十分にできるかどうかわからない人間が、他人に口を出す、なんてことは出来ない。
どのような子育てであろうがどういう結果になるか誰にもわからない。
私がしみじみわかったのは、他人の子育てに介入することは出来ない、出来ることは気になる親子に寄り添うことだけ、
それしか基本的には出来ないし、それ以外をやってはいけないんだよ。
たぶん、まともに子育てして、ほかの人の子育ても見てきた人なら、私の書いてることはわかるんじゃないかな。
極端な話、子供を殺しかねない親がいたとしたら、それを罵声でとめるのではなく、まあ、まあ、となだめて気をそらす、それを何度でも続ける、
そのうち、子供が育って行くのを待つ、親が子供から気をそらすのを待つ。
子育てで一番大事なのは「待つ」ことで、子育てを手伝うのも「待つ」のが一番大事なのだよね、「待ってる」あいだにたいていのことはなんとかなる。
ま、こう着状態の行きずり親子を見かけた場合は、大体お母さんをなだめたら、なんとかなるんで、お母さんをがりっとさせることはない、ということで。
まともな大人は親をやってる人を安易に責めてはいかんのよ。