昨日の記憶。

私の周囲で震災被害にあった人はいまだあまり多くを語らない。
たぶん戦争の記憶を持つ人と同じなんじゃないか、その悲しみを言葉にするにはまだ年数がかかるか。
戦争の記憶は70年たった今でも話す言葉が見つからない人もいる。重すぎる記憶に言葉が追いつかない。
先日、結婚発表した女優は以前NHKの番組で震災の記憶を、化粧を施していなくてもよりいっそう美しい大きな瞳いっぱいに涙をたたえながら語っていたことがある。
迫る火から兄弟の手を握って走って逃げたと、彼女が華やかな美貌に恵まれながらどこかそれをもてあましているような硬さと暗さは、
若いが故の気難しさから来ているのかと思っていたが、そんな辛い記憶を抱えて生きてきたかと、納得した。(本当のところはわからないけれど。)
今は幸せそうで明るい彼女を心から祝福したい。
3月でようやく5年目になる記憶はまだ形作る言葉を持っていない気がする。でも失われることはないんだろう。
記憶と言葉と年数と、何がどこまで追いつくのか、考えることが時々ある。