ネット雑記。

昨日の任天堂退職の記事の真偽は確認できないものの、ありそうな話としては受け入れられる。
とは言うものの、書いている人のツイッターを眺めていると、どうにも怪しげな匂いがして、
一体いくつアカウント持ってんの?って人がちらほら行き来するようなツイートを眺める限り、どこまでが真実なのか、わからなくなる。
明らかに組織的にアカウントを多くとって、ブコメツイッターで盛り上げまくる手法が目立って、
以前、「西村あさひ」の弁護士がネットで匿名を装って書き込んだ裁判に有利な発言を使おうとした件が明るみになったが、
彼らが「自作自演」にためらいがなかったのは、それが「ネットでよく使われる当然の手法」の認識があったんじゃないか、
つまり、有名な大手でも(だからこそ?)私のような田舎者の目から見ると「詐欺」に見えるやり方で「事実」を積み上げる、
「組織」で山のようにアカウントを取って、そのそれぞれがある意見を「支持」すれば、それが代表的な意見であるかのように見えるものね。
まあ、私みたいなネットの末端が、この手法に気がついたんだから、とっくに大勢が知ってるんだろうがまだある程度の効力はある。
ネットでは「個人的な意見」と称しながら「仕掛けられたもの」が増えたような、
複数のアカウントを作って流したい情報を目立たせる、「ステルスマーケティング」とでも言いたい方法があって、
特にツイッターで「これ、あんた自身だろ!」みたいなのが「素敵です」「賛同します」なんてツイートしてるのを見ると脱力する、
それをやって君の心は痛まないのか?と。
きっと、心は傷まないんでしょうなあ、それをやったら懐が温まるんでしょう、そのぬくもりは、すべての痛みを駆逐する。
説得力のある力であることよ。
「バカを騙して何が悪い?」と、その心意気には感服するわ、利益は全てに優先される。いやはや。
ふと、「ドローン」「つまようじ」少年たちのあまりに自滅的な行動に「無垢」すら感じる、
彼らの行動の根幹にあるのは「ぼくを見つけて!」だもの、カネを集めるにしても、少額でしかない、それで大満足だ、
なんと安上がりな承認要求か。なんと哀れな存在か。彼らはすぐに忘れ去られる。
それに比べて、ネットで組織だってごく少数の集団に都合のいい「認識」を作り上げ、利益を誘導しようとする手法には心が冷える。
それでもアカウントを多く持ちすぎて、自分の設定を忘れて暴走発言をするのが仲間にいるようじゃ、いずれ自滅していくか。
時々その行為は虚しくないか?と問いかけたくなる複数のアカウントを操る人間をネットで見かける。
そう言うやつに限って道徳的なことを声高に言ってるのがなんともなあ。
虚しいわぁ。