雑談。

先日「ヴェリィ」がでかでかと広告を新聞に出していて、創刊20年で読者層も変わったんだなあ、と感心していたものの、
そのコピーに違和感を覚えた人がいたようで、難しいもんだな。
かつては「専業主婦って素敵!」だった「ヴェリィ」の現在の想定読者はどうやら「商社マンの夫と同じくらい稼ぐ妻」らしい。
そういう妻が多数派かどうかは別にして。まあ、稼ぐ妻じゃないと雑誌の広告収入は減る一方だものね。
常に雑誌がターゲットであると匂わせる「普通」の読者は「理想」の読者のよう。
「商社マン」の妻が「バリキャリ」で仕事も家庭も子育ても!と頑張っているかどうか、私にはわからないが
私が読んだ、かのコピーに違和感を持つ人の内容は、「察してもらうことは難しいので常にコミュニケーションをとったほうがいい」だったような、
そこについたブコメも「アマゾンに頼めばいいよ!と夫が言い出すのが関の山」で、男女の間の溝は相変わらず深いものよなあ、
「トレペがないなら、ティッシュも買っておこうか?」なんて気を回す男性は私の周りにもいないものな。
「トレペ買ってこい!」と言ったら、多分「トレペだけ」しか買ってこないんだよ。
それでもそれができればかなり「できる!」ほう、例え意気揚々とコンビニで高くて個数の少ない物を買ってきたとしても。
私の周囲の働き者の夫はだいたい「トレペ買ってこい!」と言ったら途方に暮れる人種であるのよ、
「トイレットペーパーってどこで売っているの?」と言い出しかねないからね。「仕事だけ」していると、そうなる、ほかのスキルが発達しないのよ、人間はだいたいそうじゃないかな。
だから「○○にある○○っていうドラッグストアに行って、○○の銘柄の○個入のを買ってくるのよ」
とかなり細かく、同じドラッグストアでも場所まで指定しないと品揃えが違っていて、「なかったよ」なんて言い出しかねない、
「大体向かって右から2番目にあるよ」まで言わないと、探せないからね、10年単位で「やってこなかったこと」は簡単に取り戻せるものではない。
というようなことを男女分業で家庭を運営してきた人間は思うわけで、これからの夫婦はどんなことでも少しづつ二人で担う、がいいだろうと昨日も書いたが
「ヴェリィ」の広告を見た限り、なかなかうまくいってそうにないな、と思ったのでした。
「ヴェリィ」創刊当時のビッグニュースの当事者が手記を発表したそうで、明らかな犯罪者がこの手の出版をすることで得られるものはなんだろう?と思う。
一時的な快感?興奮?いわゆる「承認要求が満たされる?」でも、そのはてに、何があるかな。
かつて女子高生コンクリート殺人があって、その主犯格だった男は成人して事件を起こしたようで、この手の異常な事件への対処は間違えているんじゃないか、
なんでもかんでも「未熟な未成年が犯した一時的な錯乱事件」とするのは乱暴すぎると判断したほうがいいんじゃないか。
多分異常な人間は一定数必ず生まれる、その対応がまだまだ未開なんだろう。残念だ。