雑談。

先程、高齢のイラストレーターの家族の話を読んで、さもありなん、と。
さほどの金も払わないのに、クオリティーの高さを求める側というのにも問題があるのだよなあ、これはどの世界でもそう。
ふと読んだところが、気持ちは分かるが不可能なことを望んでいるな、と多少は医療関係者のあれこれを分かっている側は思ってしまう。
「ひとりひとりの患者様と家族に向かい合って!」というのができる病院と医療関係者は限られているのだよね、
そんなハイクオリティーを持つ人間ばかりが医療従事者となるわけではない。
「命を預かっているんでしょう?」と言いたいだろうが、その命はほかの無数の命と同等、家族との比重が違いすぎる。
常に最高のものを求めるのは家族として当たり前だろうが、医療従事者全てにそれができるか、というとそんなことはない。
で、どうなるか、というと、クオリティーの高い人間に仕事が集中して、最終的にはそのデキる人を潰す、と、
システムを変えろ!もいいんだが、そのシステムは果たして万人に対して良い結果になりうるか、そうなるまでの紆余曲折がすごいわ、
少なくとも今困ってる人には間に合わないのだよなあ、、、
こりゃ無茶言ってるわ、とそういう状況を一度抜けてきた、そしてこの先も抜けるんだろう私はしみじみ思う、病院に期待しすぎだわ。
病院は人間にとっての第2の家だが家が必ずしも、居心地のいいものではないのだよな。
私はそれでも様々な病院がかなり頑張って努力していると思うし、期待しなければ、結構使える場所ではあるのよ、学校同様。
期待しすぎている人を見かけると、本当にこの人たちは幸せに育ってきたんだな、としみじみ感心する。
人に期待して、その期待が常に帰ってきた人たちであるのだよ、羨ましく思うわ。
様々な病院をめぐっていろいろあって、都会は特化病院が多い印象、でも様々な病気を持つ人間への対応はかなり難しいだろう、
そういうシステムも、元々は患者側の要望に答えたものであるのだけどね。
学校でも病院でも、高すぎる期待を持ってはいけない、の感覚が私にはある。
とは言うものの、最近、驚いたことがあったなあ、なんだっけ。忘れる程度だから大したことではないのだよな。
しかし、「私にもできるんだから!」という発言は余りにも医療関係者に対する暴言すぎるなあ、
そういう暴言を受け止めながら医療関係者は磨り減るのだよなあ、、
人間は、家族のこととなるとこと、視野が狭くなる、と自戒としてメモ。もともとの視野が狭すぎる私は特に。